サルサの語源
ご存知の通り "salsa" とはスペイン語で「ソース」という意味の普通名詞。 塩を意味する "sal" と同根の語で、ラテン語の "salsus" つまり「塩をかけられたモノ」 ということです。 "salad" とか "salami" や "salary" なども同じ系列の言葉で、 どれも塩に関わる語彙です。
こんな普通の語がどうして音楽ジャンルの名前になったかについては 次のように説明されるのが一般的です。 つまり、ソースとはいろんな具材を混ぜて煮込み、塩を振ったもの。 さまざまな文化のさまざまな音楽の混ぜ合わせであるラテン音楽の総称として、 「サルサ」という語が選択された、というのです。 たまたまニューヨークのラテンミュージシャンたちの間で 「サルサ」というジャーゴンが流行っていたことに目をつけた ファニア・レコードの創設者 Johnny Pacheco が採用したといわれます。 このあらゆるものを混ぜるというコンセプトは確かにサルサ的で、 世界中で認知されることばになっていきます。
ただ、この「サルサ」という語が音楽家の間に拡がっていたのには、 もう少し時間を遡った偶然の巡り合わせがあったようなのでした。
実は「サルサ」というジャンル名の誕生の背景には、 ベネスエラのあるラジオ番組が関わっているという話があるのです。
サルサを生んだ流浪の番組
1933年ベネスエラ生まれの Phidias Escalona は18歳からラジオ DJ として仕事を始めました。 この人物がディスコでの仕事や北米旅行などを経て 1962年にベネスエラに戻って改めて始めたラジオ番組の名前が "La Hora de la Salsa, el Sabor y el Bembé" 即ち「サルサの時間、サボールとベンベ」だったのです。
何か自分の番組にいい名前はないかと探していた彼は、 食堂での仲間内とのなにげない会話で "Pásame la salsa" 「そのソースとって」と発したときに "salsa" という語の響きが気に入り、 これが番組名になったんだそうです。
3年続いたこの番組は金銭問題で別のラジオ局に移ります。 名前も新たに "La Verdadera Hora de la Salsa" 「真・サルサの時間」となりますが、その後も様々な事情で Phidias はラジオ局を転々としながらも同じコンセプトの番組を続けていきます。 「サルサの時間」というラジオ番組は、 まさに文字通り「毎度お馴染流浪の番組」だったわけです。
そしてこの Phidias の番組に1968年に出演したのが Richie Rey と Bobby Cruz のふたりで、 彼らと Phidias との会話の中でサルサという命名が音楽のジャンル名として確立するのです。
Phidias: あなたたちのやっている音楽はマンボでもチャチャでもワワンコでもパチャンガでもない。 とてもクレイジィな音楽だ、何という名前だい。
Richie: (ふざけて)ケチャップだよ。 ケッチャップというのはハンバーガにつける「ソース(=サルサ)」のことだよ。
Phidias: Richie と Bobby の音楽はサルサだ!
どうやらこのような会話の中で生まれたサルサという言い方を気に入ったふたりは、 自分達の最新アルバム "Los Durisimos" に "SALSA Y CONTROL" のコピーを入れたのでした。 これ以降、ニューヨークのラテンミュージシャンの間でも、 Pupi や Lebron Brothers などが "salsa" という言葉を使い始め、 ジャーゴンとして定着していったようです。 そうしてこの語は71年に行われたファニアオールスターズの「チータ」でのライヴで 高らかに宣言されて以降、世界中に拡散され アフロ=カリビアン音楽の代名詞として広く認知されるようになっていったといいます。
このように、意味の横滑りが生んだ「サルサ」の誕生の物語には、 「ソラミミの時間」に通じる創造的な意味の取り違い・聞き間違いの魅力が示唆されています。 間違うことはクリエイティヴなことだと改めて教えてくれる素敵なエピソードだと思います。
カワサキ
さて、それではソラミミの時間の第3弾に行きましょう。 ロマンティコの巨匠 Frankie Ruiz が息子、 Frankie Ruiz Jr. によるヒップホップテイストのメロディックな "Dime" です。
Duck Duck Go で Frankie Ruiz Jr. の "Dime" を検索(外部リンク)
去ってしまった恋人を月と太陽になぞらえながら失恋を嘆く歌で、 フロアでもよくかかるナンバですね。 この曲でも該当の詞はごく基本的な文で "Cuando tú estabas aquí" つまり「ここにあなたがいたとき」というだけのフレーズです。 「あなたがここにいたときはとてもよかった」 とやや子供じみた嘆きを繰り返すリフレインの一部になっています。
/b/ の音が /w/ のように聞こえるというのはスペイン語の特徴ですから分かるのですが、 /t/ を /k/ と聞き間違うというのは日本語話者の耳としてはやや不自然です。 「いってない」と感じる人もあるかもしれません。 どちらも炸裂音ではありますが、日本語でも両者は弁別して使い分ける音なのでむしろ 「タワサキ」と聞こえるはずですが「佐々木」のときと同じでこれを 「カワサキ」と聞いてしまうところがソラミミのソラミミたる所以です。
ただ、これはソラミミとしてはやや決め手に欠ける印象も拭い切れず、 てぬぐい級の評価といったところでしょうか。
明日はまた違うテーマです!