Merengue Panic



Advent Calendar 2022 9日目の記事

舞い・踊り・ダンス(1)

ダンスは文化より古く、 ひと口にダンスといっても世界には様々なダンスの考え方やスタイルがあります。 特にパートナダンスは近代ヨーロッパでのみ生まれた特殊な背景のダンス。 それが数百年の時間の中で他の地域の音楽・ダンスと混淆し、世界中に拡がりました。 人はどうしてパートナダンスを踊るのか。 その謎に満ちた動機を探究する試論の6回シリーズ、1話目です!

レダと白鳥の卵

レダと白鳥
from Wikimedia.org

ギリシャ神話に登場するレダは、白鳥に化けたゼウスと通じたスパルタ王の妻で、 「レダと白鳥」というモティーフは多くの絵画や文学の着想になっています。 この密通によっていくつかの卵が生まれたとされますが、 その中から生まれたひとりがヘレネで、 この絶世の美女を巡ってトロイア戦争は引き起こされました。 美しすぎるがゆえに災厄の原因になってしまうこの因果は、 トロイア戦争の物語全体に悲しい影を落としています。

レダの子たちの血筋に関しては様々なヴァージョンがありますが、 ある説ではレダと白鳥が生んだ同じ卵から ヘレネ以外にもカストルとポリデウケスの双子も生まれたといいます。 ふたり合わせてディオスクロイ(ゼウスの息子たち)と呼ばれ、 名前の通り一般には両方とも男子とされますが、 男女として描かれることもあるようです。 ローマではジェミニと呼ばれ、後に双子座となりました。

レダの子供たちが同じ卵から生まれたのだという感覚は、 人にはそれぞれ本来的な分身があるという考え方に通じます。 双子や兄弟・姉妹が同じ人格の別の側面を表す手法として用いられるのは、 神話のみならず現代的な物語でも多く見られますね。 そして、このレダの卵のイメジは、 プラトンの『饗宴』で説明される古来の人のあり方とも響き合っています。

二体一身

プラトンの『饗宴』の有名なエピソードでは人の身体の起源が語られています。 ちなみに、この対話篇は副題が『エロースについて』となっているように、 主たるテーマはエロースの賛美です。

さて、その中に登場するアリストパネスの演説によると、 人は古来、二体一身で3種類存在したといいます。 つまり男男、女女、男女(両性具有) と身体二人分が背中同士でひとつにくっ付いた状態でした。 この頃の人はとても強く、神にも匹敵しうる存在だったので、 それを嫌ったゼウスはそれぞれ半分ずつに割いてしまったというのです。 なんともへんてこりんな身体観ですが、面白いですね。 ともかく、こういう事情なので男らしい男は男を求め、 女らしい女は女を求め、 中途半端な連中は異性を求めるということになったんだと説明されます。

さらにゼウスはカットした人の頭を逆向きに付け替えたので、 人はその切断面の跡である臍が前面に向くようになったといいます。 人がそもそも本来の姿の半分しか身体を持っておらず、 本来の半身同士が惹かれ合うのだ、 というのは人が恋をする動機の起源神話にもなっています。

失われた半身

レダの卵の話とアリストパネスの身体観、 このどちらにも人は不完全な半分として生きているという感覚が見てとれます。 近代的自我はつい個人を完全で自律した存在だと見做しますが、 古い感覚では人の不完全性がもっと意識され、 身体でさえ半分だと感じられたのかもしれません。

ところで、パートナダンスが始まった動機には、 このギリシャに遡る古い欠乏感・不完全感があると主張する人がいます。 ボールルームダンスの界隈などではよく聞く議論かもしれません。 とはいえ、この神話的身体観は人の肉体の核心的な不完全性を示しているのですから、 そう簡単にダンスくらいで埋め合わせられるようなものと考えられるでしょうか。

そもそもダンスは古くは群舞ですが基本的には独りでできるものです。 むしろダンスの起源を見ていくと群舞で踊る、 独りで舞うというモードは世界的に存在しますが、 二人で踊るというパートナダンスのコンセプトは 非常に限定された文化でしか誕生しませんでした。 素朴に考えてもひとりで踊った方がより身体を自由に動かせるのに、 なぜわざわざパートナダンスを踊る必要があったのか。 また、パートナダンスの起源が性愛と起源を一にするなら、 どうしてパートナダンスは世界中の古い文化で広く行われなかったのか。

この問題にさらに切り込んでいくには どうやらパートナダンス以前のダンスの成り立ちも点検してみる必要がありそうです。

明日に続きます!

posted at: 2022-12-09 (Fri) 12:00 +0900