Merengue Panic



Advent Calendar 2022 16日目の記事

メレンゲレシピ(琉球弧パヴロヴァ編)

メレンゲやサルサは音楽・ダンスのジャンル名であると同時に食べ物の名前です。 聴く・踊るだけでなく食べることや飲むこともとても大切なメレンゲ活動のひとつ。 踊ることと食べることとのつながりを意識しつつ、 メレンゲにフォーカスしたオススメレシピを紹介します。 3回シリーズの2話目です!

バロックダンスの時代

パートナダンスの歴史はヨーロッパから始まっていますが、 発生の経緯や当初のダンスの有り様などは想像する以外にありません。 15世紀末のブルゴーニュにダンス教則本があったり、 もっと古くは11世紀の南ドイツの書物にもカップルダンスの記載があるそうですが、 これらはどんなダンスだったのかほとんど分かりません。 はっきりとダンスの内容が文献から参照できるようになるのは フランスの宮中社交としてダンスが定着して以降のことのようです。

いわゆるバロックダンスで、 フイエ本とかピエール・ラモー本といった18世紀初頭に書かれた舞踊譜が残っているため、 それなりに詳細が分かっています。 このフイエの記譜法の登場によって ボールルームダンスやバレエの技術は急速に複雑化していきます。 形式化された運動手順に名前をつけることで記譜を可能にし、 ダンスを抽象化・脱呪術化し、分析・研究可能な科目にしました。

たとえば、ブーレやガヴォットでは決まった振り付けのダンスを踊っていたようです。 このときはまだフィジカルコンタクトは最小限で、 しかも手袋をして踊っていたようですから、 細かいリード・アンド・フォローのタッチを感じるような仕組みにはなっていませんでした。 それがメヌエットになると基本の型は決まっているものの、 繰り返しの回数はリードの裁量で決定するようになり、 コンタクトの重要性が増すと同時に振り付け師の負担も少ないことから 曲が量産され、大人気を博したとのことです。

まさに社交ダンスの原型ともいうべき華やかな舞台です。 長方形の舞踏場の上座には王が坐り、両脇に貴族のお歴々が陣取っています。 社交界デビューの若者が家庭教師について必死に覚えたステップを繰り出すも、 間違って大恥をかき、その後ずっと引き込もりになってしまった、 なんて微笑ましいエピソードにはこと欠きません。

ちなみに現代のボールルームダンスの基礎はワルツですが、こちらはウィーン生まれ。 当時フランスと仲が悪かったこともあって 反メヌエットというコンセプトがワルツの重要な通奏低音になっているのですが、 ナポレオン時代にはフランスに逆輸入されています。 思想的・感情的反発があったとしても、 結局魅力的なものには抗えないようです。

グラン・パ・ド・ドゥ

ともあれ、こうして定着していったカップルダンスの基本ステップや衣装が バレエの基礎にもなっていきますが、 バレエにおけるアヴェックダンスである「パ・ド・ドゥ」の成立はずっと最近で、 19世紀の後半のことでした。明治維新よりも後の話。 これは近代バレエの父ともよばれるマリウス・プティパの功績のひとつとされています。

1810年フランス生まれのプティパがロシアで日の目を見たのは60歳近くになってからでした。 ディヴェルティスマン(筋とは無関係の乱舞)の導入、 コール・ド・バレエ(女性の群舞)の背景的な使用とともに、 プティパはグラン・パ・ド・ドゥとよばれる定式化されたアヴェックダンスを確立します。 現代でもクラシック・バレエの最大の見せ場はグラン・パ・ド・ドゥで、 パートナワーク・男性ソロ・女性ソロ・パートナワークという4部構成になっています。

Anna Pavlova
from Wikimedia.org

プティパ以前のパ・ド・ドゥは コネクションなしで並んで踊るだけの、 いわば男女で踊るシャインというスタイルでした。 そこにコネクションやリフトを用いたパートナワークを導入した訳ですね。

プティパの確立したクラシック・バレエはその後モダン・バレエに批判的に継承されます。 伝説的興行師セルゲイ・ディアギレフに見出されたミハイル・フォーキンは、 アンナ・パヴロヴァのために『瀕死の白鳥』を振り付けます。 彼女がこれを踊っている1925年の映像が残っていますので 興味のある人は検索してみるといいでしょう。

さて、このアンナ・パヴロヴァ、晩年のプティパにその才能を見出され、 モダン・バレエの中心人物として活躍した天才バレリーナですが、 このパヴロヴァの名前が冠されたオセアニアを代表するお菓子もまたメレンゲ菓子なのです。 派手な見た目もさることながらとても美味しいお菓子ですよ。

琉球弧パヴロヴァ

パヴロヴァはその起源をオーストラリアとニュージーランドが争っており、 お菓子としては珍しい出自ですが、 その名前がロシア人バレリーナに由来するという点でも変わっています。 見た目の華やかさがバレリーナのチュチュを想起させるからとも、 1920年代にパヴロヴァがオーストラリア ないしニュージランド公演にきたときに食べたからだともいわれます。 ただ、似たようなレシピは20世紀初頭から無数に存在するようで、 合州国やイギリスにも多数類似のデザートがあったようです。 「パヴロヴァ」の名前が冠された最初のデザートはジェラートであり、 メレンゲ菓子ではなかった、という報告もあるとか。

ともあれ、オセアニアの両国ではクリスマスといえばパヴロヴァで、 どちらにとっても郷土のお菓子、愛着のある自慢の一品ということなのであれば、 必ずしも起源に決着をつける必要はないでしょう。 起源は常にあとから作られる、とは歴史学者の箴言です。

さて、今回は亜熱帯テイストのパヴロヴァのレシピをご紹介します。 材料は以下の通りです。

  • 卵白 - 80g(大玉2個分)
  • 砂糖 - 40g
  • コーンスターチ - 5g
  • シークヮーサー果汁 - 5g
  • バニラビーンズ - 適量
  • 生クリーム - 100ml
  • 黒糖(粉末) - 15g
  • フルーツ - 各種適量
    • パイナップル
    • ドラゴンフルーツ
    • 島バナナ
    • マンゴー

今回もメレンゲを立てましょう。 少しずつ砂糖を加えながら卵白を泡立てていきます。 ポイントは、 最初の砂糖を入れる前にしっかり泡立てる、 数回に分けて砂糖を加える、 卵白は事前に冷やしておく。

次にコーンスターチとバニラビーンズを入れます。 そして、パヴロヴァは台のメレンゲ自体に少し酸味を加えるのがポイントで、 普通はレモンなどを使うのですが、 ここでは沖縄産のシークヮーサーを搾りましょう。 よく混ぜればメレンゲの出来上がりです。

そうしたらオーヴンで焼きます。 メレンゲをオーヴンシートに 10cm ほどに丸く広げていきます。 このとき真ん中を少しおさえて凹ませておくのがポイント。 外側が土手になるように整形します。 最初の10分は180度で、そこから130度で90分ほど焼いていきます。 焼き上がったらオーヴン内で熱が落ち着くまで冷まします。 焼き加減は各自創意工夫してください。

焼いている間に盛り付けの準備をしておきましょう。 まず生クリームに奄美の黒糖を加えて黒糖生クリームを作ります。 しっかり冷えた状態のものをホイップします。

そして、意外に時間がかかるのがフルーツのカット。 ちょっと早めにとりかかるのがグッドです。 飾り付けに使うフルーツは季節のものや好きなものを自由にトッピングすればよいですが、 ここでは亜熱帯の特産フルーツを使ってみます。 パイナップル、ドラゴンフルーツ、島バナナの基本セットに、 ちょっとだけ台湾マンゴーも加えてみます。 メレンゲ部分はシークヮーサーの香りが高く、酸味のある果物がよく合います。 砂糖の甘みとヴァニラの香りと一緒に不思議なハーモニーを奏でます。 盛り付けは各自の美的センスを大いに発揮して、 黒糖生クリームとカットフルーツをメレンゲに盛ってください。

ロシア人の名を持つオセアニアのレシピを琉球弧の食材で作る、 まさに南北を貫くトランスカルチュラルなメレンゲ菓子になりました。

明日に続きます!

posted at: 2022-12-16 (Fri) 12:00 +0900