食卓作法は文化の核心
世界を食べられるものと食べられないものに分けることは、 文化や文明を発達させる遥か以前からヒトにとって重要な認識でした。 食べられるものが増えることを求めて、 人は様々な技術や文化を発展させてきたともいえます。
ひとつの大きな跳躍は煮炊きする能力の獲得。 火を使えるようになった人類は土器を焼き、 生のままでは食べらなかった木の実や肉を食べられるようになります。
また、発酵という技術も食べ物の保存性を高め、 より美味しく、より滋養のあるものにします。
料理は自然の食材を人が食べられるかたちに変化させる試みですが、 単に食べられるようにするだけに留まらず、 人は食べる際の様々な作法も文化的に作り上げてきました。 食物の加工だけでなく、摂取の仕方にも心を砕いてきたわけです。 調理と食卓作法はそれぞれ食べることを文化的に構造化しますが、 二重に文化的な加工を受けることで食事は「神事」としての位置を獲得するのでした。
ところで、 もっと素朴には食卓作法とは人々が共に食事をする際にお互いに気持ちよく楽しめるように、 という心遣いの形式化したものだと説明されることが多いでしょう。 このようなマナーは単にお互いに気を遣いましょうというだけの、 あまり高級とは思えない処世術という感じがあり、 それほど文化的に重要なことには思えません。 一方で、料理や食事がまだ神事だった時代においては 食卓作法こそ文化の核心だったといえます。 というのも気を遣う相手が周囲の人ではなく、 自然や神様や世界そのものなのですからね。 この神話的なマナーのあり方は後で考えてみましょう。
ダンスの食べ方
通常の意味でフロアでのマナーといえば、
- 口臭・体臭に気をつけましょう
- 清潔にしましょう
- 不快感を与えないようにしましょう
- 偉そうな態度はやめましょう
- 相手のスタイルや技量を尊重しましょう
- 痛いリードは駄目です
- 痴漢は絶対駄目
- タイミングだけはずれないようにしましょう
- 人の前に立つのは止めましょう
- ぶつかったら謝りましょう
といった、よくあるガイドラインのような羅列になってしまいます。 もちろんこれくらいは最低限必要なことではあるのですが、 ちゃんと気をつけてね、というだけの話です。
さて、メレンゲやサルサは食事のメタファでもありますから、 パーティでダンスを踊るときの作法は食卓作法の比喩で考えることができます。 食事の作法は文化によって異なりますが、 ここは一般的なカジュアルな和食を頂くときの作法と比較してみましょう。
先にみたように、リードがフォローのダンスを引き出す役だと考えると、 パートナダンスは料理・給仕するのがリードの仕事で、 食べるのがフォローの仕事、と考えることができます。 したがってリードは料理人としての熟練が必要で、 フォローには食人としての水準が要求されることになります。 マナーの基本として食前・食後の「いただきます」「ごちそうさま」に加えて、 嫌い箸を避けることや周囲の相手を不快にしないことなどが考えられますが、 ダンスフロアでも同様のアイデアについて検討することが可能です。
例えばパートナの誘い方、 周囲との衝突回避のためのフロアクラフト、 踊り了えたときの振る舞い、 など無数の「作法」を考えることができますが ここではとりわけパートナアップとフロアクラフトをとり上げて、 処世術としてのマナーとしてのみでなく、 神話時代の古い食卓作法との関連を考えてみたいと思います。
明日に続きます!