Merengue Panic



Advent Calendar 2022 22日目の記事

無名の型(1)

パートナダンスには各ジャンルごとにその特徴となるパタンが存在します。 ところが、サルサの場合、 ボールルームやスウィングと比較するとはっきりと名前が決まったパタンはごく僅か。 メレンゲに至ってはほとんどありません。 パタンの命名がひどく混線しているのはどうしてか。 この問題を手掛かりにサルサやメレンゲのパートナダンスとしての面白さを考えてみます。 4回シリーズの1話目です!

ウーティス

ホメーロスの叙事詩『オデュッセイア』には、 地中海を放浪する英雄オデュッセウスがシシリア島 に漂着したときの面白いエピソードがあります。 大まかな筋は次のようなものです。

眼を潰そうとするオデュッセウス
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航海の途中で島に着いたオデュッセウスと船員たちは、 その島の主である単眼の巨人キュクロプスによって洞窟に閉じ込められてしまいます。 仲間の船員たちがどんどん怪物に喰われていきますが、 オデュッセウスは巨人に持っていたワインを与えて機嫌をとります。 気をよくしたキュクロプスがその名を尋ねると、 智謀溢れるオデュッセウスは「私はウーティスだ」と答えました。

「ウーティス」とはギリシャ語で「誰でもない」という意味。 英語でいうところの "no one" とか "nobody" に相当する語です。

しばらくして酔いが回ったキュクロプスが眠り込んでしまうと、 勇敢なオデュッセウスたちは巨人のひとつ眼を潰して逃げだします。 怪物が大きな悲鳴を上げたので、 他のキュクロプスたちが集まって来て誰にやられたのかと問いました。 するとこの巨人は「ウーティスにやられた」と言うばかり。 結局、怪物の仲間たちは皆帰ってしまい、 オデュッセウスたちはまんまと逃げおおせたのでした。 めでたし、めでたし。

さて、日本語には否定代名詞を主語にする用法がないのでちょっと訳しにくいのですが、 「ウーティスにやられた」という部分は英語で "Nobody did it" と叫んだといえば伝わるでしょうか。 つまり「ウーティスにやられた」というのは 「誰にもやられていないよ」と叫んだことになってしまい、 混乱した他の怪物たちはオデュッセウスたちを捕えることができなかったのです。 「名無し」と名乗ることによって追手がかかるのを防いだ、 オデュッセウスの見事な作戦勝ちでした。

巨大な暴力装置であるキュクロプスから自由になるために、 オデュッセウスは名前を隠し、 無名性の中に生き延びる可能性を発見しました。 この策略巧みな英雄は、 名前を知られるということが生殺与奪の権利を相手に渡してしまうということだと はっきりと理解していたのです。

名付けの効果

ところで、パートナダンスのパタンの名前の話です。 パタンに名前を付けるということにはいくつかのメリットがあります。

まず、名前を付けることで伝達しやすくなるということ。 ダンスの動きの詳細を言語化するのはとても複雑な作業ですが、 パタン名で呼ぶことができれば他の人に伝えるのが簡単になります。 レッスンもしやすくなり、 シラバスを整理できるようになり、カリュキュラムを作ることもできるようになります。 また、伝達が容易になることで、 ジャンルのキーとなるパタンをイメジしやすくなり、 特定のジャンルやスタイルをはっきりと定義できるようになります。

次に明確にコミュニティで共有できる名前を持つことで、 コンペティションや検定が可能になるということ。 審査の公正さを担保するには「正しい」ステップの定義が必須で、 明確なパタンの定義なしには出来を評価することは難しく、 競技会指向の強いダンスほど、 ステップやターンパタンに厳密で体系的な命名が必要になります。 別の言葉でいえば、上手い下手が明確に区別できるようになるので、 あるジャンルやスタイルにおけるダンサのレヴェルを客観的に記述できるようになります。

もうひとつの重要なポイントは動きの名前があると、 譜面や文字に書き残すことが出来るようになり、 分析や展開の創作を実際の運動の中ではなく 記号操作によって実現できるようになることです。 これは大事なポイントで、 フィリップ・ラモーや大バッハ以降の西洋音楽が、 演奏ではなく五線譜上で発展したことと比較できます。 これはヴィデオにはない、書き記すことの大きなメリットですが、 実際のダンスで行うのはとても大変な作業です。

というのも、分析に適う譜面を書くには単にパタンの名前を記すくらいでは不充分で、 動きの最小単位を定義し、 その組み合わせと組み合わせ方のルールを記述する方法を確立しなければならないからです。 いわばチョムスキーが生成文法でやったことのダンス版とでもいうべきもの。 汎用的にやるならダンス理論家 Rudolf von Laban によって開発されたラバノーテーションのような方法もありますが、 パートナダンスの場合、 ベーシックステップとミラリングとコネクションによる制約があるので もう少しやり方があるかもしれません。

実際、ボールルームのように教科書が存在して、 競技会が重要な活動になっているようなジャンルの場合、 パタンの命名と記述可能な定義は不可欠といえるでしょう。

混線するパタン名

このように、メリットも多く挙げられるパタンの命名ですが、 サルサやメレンゲなどのアフロ=カリビアンのパートナダンスをみてみると、 まともに命名された型はごく少ないことに気付きます。

メレンゲの場合だとベーシックステップ以外に パタン名らしいパタン名を思い付くことさえ出来ません。 一応、サルサやバチャータで「メレンゲターン」と呼ばれる動きがありますが、 これはフレームを組んだまま右方向に一緒に回るだけの動きのこと。 単にメレンゲを踊っているとよく出てくる動きというくらいの含意であって、 メレンゲのパートナワークとしてこの名前で教えられることはあまりありません。

一方、サルサの場合はやはりメレンゲよりも遥かにスタイルが立っており、 それぞれのスタイルでそれなりに名前のついたパタンはあります。 ところが、よく点検してみると、 様々なサルサコミュニティを通じて共通して使えるパタン名はせいぜい、 ベーシックステップとクロスバディ・リードくらいしかないのです。 シャインのステップ名ならもっとはっきり名前が決まっているものもありますが、 それらも他のジャンル由来であることが多かったりします。

ひとつだけ例外的な事象として挙げるべきは キューバン・サルサのルエダ・デ・カッシーノです。 これは円になってパートナチェンジしながら皆で同じ振付を楽しむ遊びであり、 カンタンテないしコーラと呼ばれるパタンを指示するリード役の発声に合わせて 次々にパタンを繰り出すマスダンス。 ここでは参加者全員がパタンの名前を把握していなければならないことから、 ルエダでは明確にパタン名のセットが共有されています。

ところが、面白いことに、 よりコスモポリタンとみなされているはずの on1 や on2 のスタイルでは、 同じ名前で別の動きを指したり、 別の名前で同じ動きを指すことが無数にあり、 その指示関係はあきれるほどに混線しています。 ほんのいくつか例を挙げれば、 たとえばインサイドターン、アウトサイドターン、 バックスポットターン、マリポサ、アラウンド・ザ・ワールド、 タイタニック、360などのよく耳にするサルサのパタン名は、 それらがどのような動きを指すのかが人や場所によってまちまちなのです。 メレンゲはもちろんサルサにも一般的な教科書はなく、 名称を統括的にコントロールするような組織もありませんが、 それにしても滅茶苦茶すぎるのです。

まるでわざと複数性や無名性のある命名にして、 ひとつ眼の巨人を出し抜こうとしているかのようにも感じられるでしょうか。 ダンス界隈のどこかにオデュッセウスがいる、 というよりも、 アフロ=カリビアンの海の底全体にオデュッセウス的な機智が深く堆積している と考えることも出来るのかもしれません。 このカリブ海文化が逃れようとしている「キュクロプス」とは誰なのか。

明日に続きます!

posted at: 2022-12-22 (Thu) 12:00 +0900