Merengue Panic



Advent Calendar 2022 24日目の記事

無名の型(3)

パートナダンスには各ジャンルごとにその特徴となるパタンが存在します。 ところが、サルサの場合、 ボールルームやスウィングと比較するとはっきりと名前が決まったパタンはごく僅か。 メレンゲに至ってはほとんどありません。 パタンの命名がひどく混線しているのはどうしてか。 この問題を手掛かりにサルサやメレンゲのパートナダンスとしての面白さを考えてみます。 4回シリーズの3話目です!

グランデ

インサイドターンやスポットターンはまだまだ序の口、 サルサのパタンの中で一際たくさんの名前を持つ動きに「グランデ」があります。

このパタンは世界的には「360」や「180」と呼ばれることがもっとも多いようですが、 それ以外にも、「360コレクト」、「ウィップ」、「スウィング」、 「アラウンド・ザ・ワールド」、「オーヴァターンド CBL」、 「コンティニュアス CBL」、「メリーゴーラウンド」のように呼ぶ人もいます。 また、「リヴァーストップ」というのはボールルーム由来の言い方。 カシーノでは「コカ・コーラ」と呼ばれ、 「サブロク」という謎の和名(?)まであります。 「スーパー大回転」という、 スキーの競技名のような名前で呼んだインストラクタもいました。 もっとおかしな言い方では「バッファロー」というものまであります。

その動きは、サルサの一番基本のパートナワークであるクロスバディ・リードの応用で、 フォローをスロットの反対方向に送る前に半周回って位置を入れ替え、 結果的に動きの前と同じ位置関係に戻るという基本パタンです。 さらに回転量を半回転・1回転増やした派生もよくみられます。

混線が多いサルサのパタン名とはいえ、これだけ多様な命名があるのは例外的で、 しかも、さらに厄介なのはこのパタンを「180」と呼ぶか「360」と呼ぶかで論争があること。 「180」派にとっての「360」はもう半周多く回る動きを指すので、 「360」と呼ばれるパタンは、 人によって回転量やタイミングの異なる別ムーヴということになってしまいます。

もっと複雑なことに、同じ「360」と呼ばれる場合でも その実施やステップの内容は全く異なるケースが多々あります。 大きくはリードがステップターンするヴァージョンと ピヴォットターンするヴァージョンの 2種類に分けて考えることが出来ますが、 それぞれの中でも遠心力の使い方やタイミングなど、 細かくみるとかなりのヴァラエティがあるのもこのパタンの特徴です。 10人いれば10通りのグランデがあるという人もいます。

さて、これだけ名前が多様だと、もはやなんと呼んでも構わない気がしてきますね。 どんな名前で呼ぼうと、 実際の中身もバラバラならもはや名前に意味があるのかどうかも分かりません。 本サイトではこのパタンを指して「グランデ」という名称を使用していますが、 これはもともと東京の古いスタジオで教えていた あるペルー人インストラクタによるごくローカルな命名です。

スペイン語の "grande" は単に大きいという意味の語で、 回る量が普通のクロスバディ・リードよりも半回転分ほど大きい、 それくらいの意味だよ、と当人は説明していました。 ただ、ほとんど他の動きに名前をつけることのなかった彼があえてこのパタンだけ 固有の名で呼んでいた、というのは本人の意識以前のところで、 このパタンに特別なものを感じていたことを示唆しているかもしれません。 もっといえば、 "grande" すなわち「大」という多義的で揺らぎを含んだ 表現を当てたことは、 彼の無意識の底にも確かに流れるラテンアメリカ世界の 庶民的知性が直感的に掘り当てた見事なワーディングだと考えることもできます。 面白いことに、どういうわけか往年の彼の生徒たちにはこの「グランデ」 という響きを大切にしている人がいまでも多いんですよ。

本サイトではさらに、そのオリジナルの由来を越えて、 この「グランデ」にさらに複合的な意味づけを重ねています。

無・一・大・道

古代中国の老子は分別や差別を徹底的に批判し 「無為自然」に生きることを説きました。 「大道廃れて仁義あり」、つまり世界の根本原理である「道(タオ)」を失ったせいで、 仁だの義だのといったルールや道徳がはびこるのだ、 と逆説的にいってのけます。 倫理や正義が高級で大事なものだと思っている役人や貴族たちに 後ろ足で砂をかけるようなこの柔弱な哲学者は、 世界の根本原理にはなんとも名前をつけようがないが、 名前をつけないと議論もできないというので一応とりあえずそれを「道」と呼びました。 ですから「道とは無だ」とか「道とは一(いつ)だ」とか「道とは大だ」などと、 様々にずらし、変奏することで名付けることの不可能性を名付けています。 文字通り「無一帰大道」ですね。

水牛に乗る老子
from Wikimedia.org

ここで面白いのは「無」という字の別ヴァージョンとして「大」という字が現れることです。 以前にも議論したように「無」は「舞」と同じ字ですから、 (過去の記事 を参照) 少しだけ想像力の跳躍を許せば「大」がグランデを表すと考えることも出来、 舞うこと=旋回することが自分の中身を空洞にして世界の根本原理で満たす行為である、 という原型的なダンスの動機にグランデが繋がってくるのです。

グランデは、とりわけそれが一本足のピヴォットで行われる場合、 強い遠心力によるフォローとリードの一体感を作りますが、 同時にそれぞれの自律的な運動であることを妨げません。 パートナワークの原理であるミラリングとコネクションの両方を同時に混ぜて遣うことで、 独特の身体感覚を作り出します。 スロットの観点でみても、グランデはクロスバディ・リードと異なり、 同じ位置に戻ってくる、つまり原点を中心に回るだけなので仕事の量はゼロであり、 まさに「舞」が「無」であることを象徴的に示してもいます。 「無」と「大」の一致性を考えるとき、 グランデはサルサのパートナワークの「大」である、 と諒解することができます。

クロスバディ・リードはその名の通り、一連のシークエンスの冒頭に行われる動き、 始まりの動きとして、パタン展開の句読点のような役割を持ちますが、 一方でグランデは後続のパタンへの繋がり方が クロスバディ・リードと全く同じであるにも関わらず、 シークエンスのどこに入れても抑揚を妨げない(仕事量がゼロ)という意味で、 不動点(コンビネータ)のように振る舞います。 これを利用してひとつのグランデから次のグランデまでを一連と考えることで、 小節線を越えてシークエンスの展開のポリリズムを作る 重要なグリッドの働きもできるという実践的な意味合いもあります。

ホワイトノイズが無音状態と同じ効果をもたらすように、 饒舌が沈黙と変わらないように、 過剰なまでにたくさんの名を持つことは名を持たないこととあまり変わりません。 ですからここでのグランデは名無しの名であるといえます。 ウーティスであり、無であり、グランデであるようなパートナワーク。 もっと究極的にはメレンゲやサルサのすべてのパタンもまた、 グランデであるといっていいでしょう。 キュクロプスを出し抜く知恵を本能的に知っているダンサは、 グランデと名乗ることで本当の名を守るのです。

明日に続きます! Merry Christmas!!

posted at: 2022-12-24 (Sat) 12:00 +0900