Merengue Panic



Advent Calendar 2023 3日目の記事

ダンスフロアの7つ道具(3)

身軽な格好でふらっと行けるのがクラブパートナダンスの魅力のひとつ。 それでもこれだけは外せないというアイテムもいくつかあります。 今回はダンスフロアでの持ち物について考えてみます。 4回シリーズの3話目!

ヒールの効果

「ジンジャー・ロジャースはただフレッド・アステアのする通りに動いた。 ただし鏡映しに、そしてヒールを履いて。」

サルセーラの中にはフラットなジャズシューズやスニーカで踊る人もいますが、 多くの女性はヒールのサンダルを履いて踊ります。 過酷な場合、サルサのソーシャルは朝まで数時間というケースもありますが、 上級フォローたちは涼しい顔をしてヒールで通します。 ダンスをしない人からすると恐しいことに思えるかもしれません。

パートナダンスにおいて、 フォローのアウトフィットがリードのそれと最も異なるのはヒールです。 ただ、ラテンのパートナダンスでもキューバンやメレンゲのようなジャンルだと 比較的ヒールである必然性は低く、 フラットシューズを選択する人も多いようです。

Rogers and Astaire
Rogers and Astaire / public domain

ヒールは慣れて上手に履けるようになると、 筋肉の力ではなく骨格を使って身体を支えられるようになるので、 実際はそれほどしんどい話でもないのですが、 これがちゃんとできないうちに高いヒールを履くのは健康に悪いので気をつけたいところです。 フル・ルルベで立っているとすぐにふくらはぎが疲れる、 という段階の人は履き過ぎに注意しましょう。

一般に、ヒールであることのメリットはターンがしやすくなるとか姿勢がよくなる、 といわれます。 踊っているときはヒールをあまり床に付けず、 足裏のボールから爪先までをプラットフォームとして使うため、 自然と前重心になります。 これがとりわけスロットスタイルのサルサを踊るときに利いてきます。

スロットスタイルのサルサ(on1 や on2)では フォローが仮想のスロットと呼ばれる直線の上を行ったり来たりするのがお約束。 このためにオープンブレイクやクロスバディ=リードといった 水平方向のパートナワークが多用されます。 このときフォローの重心が後ろ(バックバランス)になるとリードが利かず、 コネクションも悪くなるのでパートナワークにならないのです。 とはいえ、ヒールを履かなくても前重心で立つことはできますから、 苦手な人はヒールにこだわる必要はありません。

キューバンやバチャータやメレンゲの場合は オープンブレイクもクロスバディ=リードもほぼ出てきませんから、 あまり問題になりません。 もちろん、バックバランスでいいという意味ではありませんが、 それでもパートナダンスとしての形が破綻しにくい、ということです。 逆に、ヒールを履いてメレンゲを踊ると踵がつかない分、 深く踏み込む動きを作りづらいということは多少あるにせよ、 こちらは実質的に大きな問題にならないため、 ダンスフロアではずっとヒールを履いているのが一般的ということになります。

ただし、女性陣にどうしてヒールを履くのかと訊いてみると、 こうした機能的な効果を挙げる人よりも、 「せっかく踊るのにヒールじゃなきゃもったいない」、 「ヒールはかわいい」、 「ヒールを履くと自信がつく」、 「ヒールを履くと背が高くなって見晴らしがいい」といった意見が多いようです。 最左翼には 「ヒールを履きたいからサルサを踊っている」などという向きまでいます。

どうやらヒールを履くということが女性にとって何か特別な意味を持つ、 ということらしいのですが、 一方で、逆に「ヒールなんて絶対に嫌だ」とか 「靴屋のマーケティングに乗せられているだけ」とか「あれは西洋の纏足でしょ」 のような声もありますし、身体的に合わないので履かない、という人もいます。

ヒールの意味

ヒールの文化的な位置については様々な議論があります。 現在では極めてフェミニンな記号性を持つアイテムですが、 もともと多くの文化で背を高くするためや、 床の汚物を避けるため、 あるいは乗馬の都合などでヒールは男性にも女性にも履かれてきました。

heel shoe
stiletto / © Burju Shoes, fair use.

エジプトの肉屋では血で汚れないようにヒールを履いたそうですし、 古代エジプトの儀礼では男女ともヒールを用いました。 ギリシャやローマでは木製やコルク性の踵靴を役者が履いていましたし、 中性ヨーロッパでは街路が不潔だったため、 靴に上げ底のアタッチメントをしたといいます。 古くからヒールは娼婦の記号でもあったようで、 これは脚のラインが綺麗に見えるので客の視線を引く効果があったことに由来するようです。 また、和装の履物でも下駄は上げ底になっていますし、 ポックリのような極端なものまでありますね。

現代の女性性が強く刻まれた履物としてのハイヒールは 15世紀になって登場したトルコ由来のチョーピンがその起源といいます。 これは女性だけが履く単にファッションとしての意味しかないステータス・シューズでした。 ヨーロッパのファッションが過激になる中、 チョーピンには 70cm を超えるものもあったそうで、 ここまでくるとほとんど道化的でさえあります。 普通の人はまず一人で歩くことができず、2人の補助をつけたそうです。

ただ、ここでダンサ目線で面白い話があります。 このチョーピンを履いて激しく踊っていた女性たちがいたという記録が、 イタリアのダンスマスタ Fabritio Caroso が1600年に書いた本に載っているのです。 曰く、ガリアードと呼ばれるピョンピョン跳ねる、 それなりに運動量のある種類のダンスを トレーニングした女性たちがチョーピンで踊っていたといいます。 しかもかなり優雅に踊ったそうで、 ここには現代のスロットスタイルを踊るサルセーラにも通じる快哉を見ることができます。

チョーピンは貴族階級のステータス性を表示する以外の機能を持たない靴でしたが、 あえてそれを履いて踊りこなしてしまったわけです。 女性を抑圧し、移動を制限する機能を持つ道具を自覚的に身に付けた上で、 それを履きこなしてむしろ優雅に踊ってしまう。 これは抑圧に対する痛快な意趣返しでもあり、 直接的な拒否や逃亡よりも深く相手を内側から食い破る「カニバル性」 のある機知でもあります。 男たちが押し付けた最も踊りにくい靴を使いこなす技術を開発することで、 逆に最も優雅に踊れる靴にしてみせること。 男たちの想定を超えて、 女性性の記号としてのヒールの意味を再構築する企みともいえます。

ダンスフロアで颯爽と踊るサルセーラたちのスティレットには、 不愉快なリードの足をいつでも踏み抜ける攻撃力もまた隠されているのです。

明日に続きます!

posted at: 2023-12-03 (Sun) 12:00 +0900