Merengue Panic



Advent Calendar 2023 7日目の記事

500年後のメレンゲ(3)

コロンブス以来激動の時を生きてきたカリブ海の人々。 島々の物語はメレンゲやサルサの音楽=ダンスとどう関係するのか。 過去でも未来でもなく「今」をしたたかに歌い踊ってきた カリブ海の人々の驚くべき人間力の一端を見ていきます。 4回シリーズの3話目!

歴史の不在

さて、ずいぶんと大雑把にコロンブス以降の500年を見てきました。 ところで、こうしてカリブ海の来歴を「歴史」として語ろうとすると いくつか奇妙な出来事があることに気付きます。

例えばカイマン森の儀礼。 一応これは1791年8月14日に起こった歴史的な出来事として語られますが、 異論も多数あります。 そもそもこの集団蜂起の決起集会はなかったとする見解や、 14日ではなく21日や22日の出来事であるとする説、 ブードゥーのウンガンであるブークマンの立場を強調する人に対して、 マンボであったセシル・ファティマンに重きを置く人もいたりと、 統一的な見解はありません。 というのも当事者たちの多くは文字を書けない奴隷だったので、 これらのエピソードは口頭伝承によって伝わっているものだからです。 学問的には様々な異論や疑義が残る伝承と聞き書きによってのみ伝えられてきました。 文字に書かれたものが「歴史」であるとするなら、 カイマン森の儀礼の詳細は、 「歴史」であるかどうかはなかなか怪しいということになります。

あるいはアナカオーナの伝説。 こちらは16世紀初頭の話で、 コンキスタドールたちの残したわずかな資料があるとはいえ、 ほとんど具体的なエピソードを参照することができないストーリィです。 にも関わらず伝承なのか誰かの創作なのか不明な形で、 微に入り細を穿った物語がいまでも数多く語られてもいます。 文字を知らなかった黒人たちは口頭の伝承を通じて、 この物語を受け継いできました。

不思議なのは500年前に滅んだはずのタイノ人の言葉をアフリカ由来の黒人や 白人と黒人の混血児たちがいまでも大事に使っていることです。 タイノ語由来の言葉は沢山残っていて、 ハイチやキスケージャという島の名前自体がそうですし、 カヌー・ハンモック・ハリケーン・ポテト・マングローヴ・タバコなどの語は タイノ語由来と考えられています。 音楽ジャンル名としての「メレンゲ」もタイノ語起源とする説があります。

「ザマニ」という過去

ここでそもそもアフリカの人々がどのように時間を考え、 時間と付き合っているのかをその言語構造から読み解いた議論を参照してみましょう。

アフリカの言語には原則的に過去を表す表現と現在を表す表現しかなく、 遠い未来を語る機能がない、といわれます。 例えばカムバ語やキクユ語では、 「ザマニ」と呼ばれる完了した出来事を語る時制と、 「ササ」という近過去および近未来を含む現在をいう未完了の時制の ふたつしか存在しないといいます。(ジョン・ムビティ)

Mami Wata
Mami Wata / public domain

ここで「ザマニ」は神話的時間であり、 聖なる時間、無時間の時間と呼び直すこともできます。 身体感覚や文化や自然の外に客観的に存在する時間(時計の時間)ではなく、 現在の「ササ」に意味を与える有機的で豊かな自然のリズムです。 「ササ」は「ザマニ」のインスタンスとして実現するのであって、 すべての「ササ」は「ザマニ」の変奏であると考えます。 「ザマニ」という楽譜があって、 世界が日々それを演奏して「ササ」化しているといえるかもしれません。 「ザマニ」は自然に刻まれた記憶であり、 言語構造の中に埋め込まれた叡智なので、 土地との関係が失われれば消えてしまう神話的記憶です。

アフリカからカリブ海に奴隷として連れてこられた人々は、 言葉や文化のみならず、記憶や神話、すなわち「ザマニ」も失って新世界にやってきました。 宣教師たちが教える直線的時間を知るとき、 彼等は極端に未来への救済を求めるようになっていきます。 伝統的には豊かな「ザマニ」に支えられた「ササ」を生き、 未来にわずらわされることのなかった人々が、 「ザマニ」を失い、「ササ」の意味が瓦解するとき、 新しく出逢った「未来」に過剰な期待をするのは致し方ないことだったのかもしれません。

未来は虚無と恐怖の原因でもあると同時に、 希望の源でもあるのでした。

それでもカリブ海の文化や生活をみてみると彼らは畸形的な方法で 「ザマニ」を作り直しているともいえます。

例えばそれはブードゥーにおけるゾンビあるいはダピー(死者の霊魂)のリアリティや メキシコにおける死者の日の遊戯的・祝祭的な踊りで、 共に死者と戯れることが特別ではないことを示しています。

カリブ海の人々にとって「歴史」とは白人が書くものであり、 彼らの現在(ササ)にとって力を与える「ザマニ」足りえません。 植民地主義・奴隷制・革命・独裁・貧困などの観念的で身体性を欠いた言葉によっては、 彼らのリアリティは全く支えようもありません。 逆に彼らにとってはほとんど自分たちのルーツとは無関係なはずなのに、 タイノ人たちが残した言葉に何か「ザマニ」的な力を感じているようにも見えます。

根を失い、どうやってこの島に辿り着いたのかも分からなくなり、 血は混ざり、汚され、自らの基礎となる神話も言葉も失った人々が、 どのように自らを打ち立て直すことができるのか。 メレンゲやサルサのような音楽・ダンスは明らかにその果実のひとつのはずですが、 こんなアクロバットはどのように可能だったのか。

明日に続きます!

posted at: 2023-12-07 (Thu) 12:00 +0900