Merengue Panic



Advent Calendar 2023 21日目の記事

境域のフロアクラフト(1)

クラブダンスは見知らぬ男女と時空間をシェアする混淆の体験。 パートナダンスでは幾重にも張られた様々な種類の境界が、 攻められ、破られ、守られ、撥ね返され、溶け合い、 伸び縮みしています。 今回はそのフロントラインでのせめぎ合いを吟味しつつ、 身体と境界、警戒と信頼、混淆と危機といったテーマを フロアクラフトの観点から考えてみます。 境域の十字路を巡る5回シリーズの1話目!

フロアクラフトとは

フロアクラフトとは、 混んでいるフロアで周囲のペアと衝突しないように踊る技術の総体のこと。 ダンス相手や自分や周囲のダンサたちの安全のためにも重要な技術といわれます。

グッドフォローはフロアクラフトに協力的で、 リードの死角にある危険をダンス中に示してくれますが、 ターンパタンの選択や踊る位置を決定するのはリードの役割なので、 リードに責任があります。 リードよりもフォローの方がペアの先端に位置するので より衝突しやすいという点もリードは知っておくべきでしょう。

ただ、見事なフロアクラフト能力を持っている人というのは意外に少ないもの。 それがあったところで別に華やかな技術ではないですし、 傍目にはほとんど分からない。 このため、その重要性を理解しない人も多いですし、 長年踊っている上級者にも全く駄目な人がいます。 ましてや初心者さんや初級者さんには意識することさえ難しいアイデアです。

結果的にリードを学ぶ過程ではどうしても後回しになってしまうんですね。 というのもリードは複雑なマルチタスクで、 フロアクラフト以前にやることがいっぱいあるからです。 まずは自分が綺麗に立って足でベーシックを踏まなければならないし、 音楽のリズムから落ちてもいけない。 その上でフォローと間に適切なコネクションを作る、 手はターンパタンを繰り出しながら、 目でフォローの動きやフィードバックを観察する。 歴が浅いうちはこれらをいちいち全部意識しなければなりませんから、 およそフロアクラフトなどということには思いが至りません。 人にぶつかってもぶつけてもほとんど気付けないでしょう。

フロアクラフトが意識されないもうひとつの理由は、 あまり混んでいないフロアであれば何も考えずともそんなにぶつかることはないから。 そして軽度の接触程度ならほとんど互いのダンスに影響しないということもあります。

実際、充分に広い空間がある場合、ぶつかるリスクはそれほどありません。 そもそも人とぶつからずに歩くことは意識しなくても普通できるもの。 人間には本能的に高いフロアクラフト能力があります。 パーソナルスペースの感覚もトラブルを避けるための機能ですね。 相手の腕の届く範囲に入るというのは親密な関係性がない場合、敵対的な行動です。

混雑した駅や雑踏の中でも正面から他人にぶつかることはあまりないはず。 ときどき前方から来る人を避けようとして、 相手も同じ方向に動き、じゃあといって反対に行くと向こうも同じことをして止まる、 というようなことも起こりますが、ぶつかることは普通ありませんね。 少なくとも互いに前を向いて歩いている場合にはまずぶつかりません。 横や後ろは死角になりがちですが、 それでも聴覚によって物音や気配を感じるのでそれなりに衝突を回避できます。

ただ、混んでいるフロアが雑踏と異なるのは、 前進だけでなく後退やターンなどの複雑な動きをすること。 意識も周囲のダンサには向けられにくく、 自分とパートナのことでいっぱいいっぱいの人はどうしても周囲とぶつかります。

この手の問題は人によって感じ方や意識が大きく異なるというのが厄介。 ぶつかるのが当たり前と思っている人は他人の靴を踏んでも全く気付かないか、 分かっていても気にしない。 一方で繊細な人は気にしてしまってダンスに集中できず、不機嫌になってしまう。 ごくまれにフロアの真ん中で男性同士が揉めるのを見る場合もありますが、 こういうトラブルはなかなか解決できません。

心構えと基本テクニック

フロアクラフトは技術的な要素よりも第一義的には心構えの問題です。 その必要性を理解し、 考え方を抑えてしまえば初心者さんでもかなりの程度まで問題を回避できます。

まず、一番簡単なのは充分に踊れる場所がないときは踊らない、ということ。 考えようによってはごく当たり前の話ですが、意外にこれが出来る人は少ないもの。 パートナダンスはパートナアップから始まりますが、 先に踊る相手を決めてしまったら、 なんとか強引に割り込んででも踊りたくなるんですね。 相手を誘う前にスペースを確認する、というのはよい習慣ですが、 今は踊れないな、と思っていても誘われてしまうケースもあります。 あまりにフロアが混雑しているときは断わることも考えるべきです。

次に自分たちのペアの使用する可能性のある空間を明確に意識すること。 前後はここまで、左右はここまでとはっきり認識できていれば、 その空間に他のペアが割り込んできたり、幅寄せしてきたりしたときに気付くことができます。 また、踊っていると無意識に変な方向に移動してしまったり、 他の人のスペースを侵食してしまったりすることもありますが、 なんとなく自分たちのスペースを把握しておくと元の位置に戻ってきやすいということです。

Slot Crosses
efficient floorcraft

スロットスタイルのサルサの場合、 ベーシックは前後4足分くらい使います。 ペア間の距離も普通に肘が曲がった状態で向き合うなら爪先同士の間が半足くらいだとして、 全部で4足半、多少ダイナミックに動く分のバッファを1足半考慮しても6足分です。 つまりスロットの距離は足のサイズが 30cm の人でも 180cm 程度あればのびのび踊れるでしょう。 スロットスタイルではフォローがスロット方向に行ったり来たりしますが、 リードはそのスロットの中央近辺をスロット方向と直角に行ったり来たりします。 フォローの移動の際に避けなければいけないからですね。 この距離はフォローを通せる最短で構わないので片側が肩幅分あれば充分です。 リーダの肩幅が 45cm ならリードに必要なバッファ1足分と合わせて 120cm もあれば余裕があるでしょうか。 つまり 180x120cm くらいのスペースがあればゆとりを持って踊れるということです。 リードがコンパクトに踊れるなら 180x90cm くらいでも大丈夫かもしれません。

ちなみにこの空間はスクエアではなく十字型なので、 フロアに目一杯詰め込もうとすれば スロットを互い違いに配置する方が効率的に多くのペアが踊れます。 このことはリードとして大事な知見。 混んだフロアでは隣のペアの真横につくよりも少し前後ずらすと衝突のリスクが低減できます。

次に大事なことは大きく動かないこと。 パートナダンスでは大きく踊るよりも小さく踊る方が技術を要します。 ソロダンスに慣れていると、ダンスというものは大きく踊らなければならない、 と考える人が多いのですが、パートナダンスのソーシャルでは全く逆、 小さく踊れれば小さく踊れるほど、そのペアは技量があるということになります。

小さく踊るための第1歩は歩幅を小さくすること。 ベーシックステップが前後に4足以上になるのは大き過ぎで、 狭いフロアなら2足分に収められるといいと思います。 小さく踊るにはリードの意識が大事ですがそれと同時にフォローの技術も肝腎。 オープンブレイクで目一杯肘を伸ばす人や リードされている以上に遠くに行ってしまうフォローだと、 どんなにリードが小さく踊ろうとしても難しいんですね。 フォローが意識さえしてくれればかなり省スペースで踊ることができます。

リードにとって厄介な技術的課題はターンパタンのサイズをコントロールすること。 フォローと同様、意識するだけでもそれなりには小さくはなりますが、 もう少し厳密に、 フォローの足をどこに置くかまでを細かく制御できるようになるには、 「足を踏ませるリード」ができるようにならなければいけません。 そして、この技術はリードの極意と呼ぶ人もいるもので、 一朝一夕に身に付くものではありません。 丁寧に基礎から学んで積み上げていくタイプの技術です。

ちなみに、この技術が一定の水準まであるリードが使う応用として、 極端に混んだフロアでは一切フォローを同じ位置から動かさず、 すべてのターンパタンで自分だけがフォローの周囲を移動する、 という超絶技巧もあります。 スロットの長さを限界まで短くしてその場での足踏みにしてしまうのです。 その分相対的にリードが周囲を動くことになりますが、 周囲と接触するのはリードだけ、という状況を作ることができます。

ともかく、初級くらいまでのうちは 動きを小さくすることだけに集中して下さい。 それだけでもかなりの効果がありますよ。

そして、フォローは危ないと思ったら迷わずリードを制止しましょう。 リードには死角が見えていないケースもあるし、 狭くて怖い場所で配慮なくブンブン回される場合は踊りを中止することも選択肢のひとつです。 ダンスフロアでは怪我をしても一切保証はありません。

心構えとしてもうひとつのポイントは、軽度の接触はある程度しかたない、 と割り切ることです。 厳密に一切周囲と接触しない、というのは本当に難しいこと。 自分たちが動いているだけでなく相手も動きますからね。 酔っ払いもいるし、突っ込んでくるのもいるし、というのがダンスフロアですから、 互いに怪我をするような危険がなければ女性のスタイリングする手が少しあたったとか、 踵をちょっと蹴られたくらいはゴメンで済ませる鷹揚さも大事です。 肝腎なのが接触したらどちらが悪くてもちゃんと相手とアイコンタクトして謝ること。 それだけでちょっぴり平和な世界になります。

フロアの分割と割り込み

ダンスフロアは決まった面積しかありませんから、 どのペアがどの場所をどれだけ占有するか、 という合意形成が必要です。 普通のダンスフロアではこれは全く言葉を解さず、 自然とそれぞれのペアが空いている場所を陣取ることで成立します。 一旦形成されたシマ割りに曲の途中から別のペアが割り込んでくることも普通。 周囲のペアはスペースが狭くなるか、移動する必要が出ますが、 こうしたネゴシエーションは毎曲踊るごとに行われます。

国家間の領土問題や コンピュータプロセスの CPU リソースの割り当てなどとの比較を考えてみると、 なかなか驚くべきことです。 フリーに使えるスペースを動的に割り当てることは厳密な約束ごとや 高次の管理システムを用いなければ実現できないこと。 ダンスフロアには全体を制御する管理者もおらず、 特別に決まったルールもないのに暗黙の諒解だけで互いにスペースを都合し合っています。 もちろん、中には強引に場所を奪ったり、 過度に幅寄せしたりする人がいたり、 場合によっては揉めごとに発展するケースもゼロではないのですが、 一般的にはかなり平和にこれを実現しているといっていいでしょう。 どうしてこんなことが可能なのでしょうか。

公園や海水浴場のようなオープンスペースで遊ぶ場合は先占の原則、 先にその場所の占有権を主張する人がいたら後から来た人はそのスペースを侵さない、 というルールが暗黙の諒解になっています。 場合によっては交渉によって場所を分けてもらうこともあるでしょうが、 先占権は強固に守られます。 花見や花火の場所取りなんかだと朝からゴザをひいていたり、 その筋の人にお願いして坐ってもらったりしますね。

ところが、ダンスフロアでは後から後から場所に入ってくるので、 先占の権利はごく緩くは守られるとしても、必ずしもそうでもない。 踊りながらどんどんスペースの分割状況は更新されていきます。 下手にフロアクラフトが上手いと小さく踊れるので、 周囲からどんどん幅寄せされてしまい、 気付くとやたら窮屈なところで踊らされる、 というのは上級リードからよく聞く悩みです。

フロアクラフトを周囲のペアの邪魔をしない技術と考える人がいる一方で、 自分のペアが踊るスペースを確保するための闘争だと考える向きもいます。 そういう手合いはアグレッシヴに縄張りを主張し、 他者の侵入に対しては報復的にぶつかってくる場合もあります。 酷い場合は自分ではなくフォローを隣のペアにぶつけてスペースを 確保しようとする輩もいますが、ディスリスペクトの極みですね。 さすがにここまでするのはごく少数ながら、全くいない訳ではありません。

それでも多くの寛容さに支えられて、 トラブルなく踊ることができているケースがほとんど。 不思議なことです。 夏目漱石は「二個の者が same space ヲ occupy スル訳には行かぬ。 甲が乙を追い払うか、乙が甲をはき除けるか二法あるのみじゃ」と書きつけました。 限られた資源をみんなで共有する、というのは今も昔も人類の課題ですが、 ダンスフロアでは何が起っているのでしょうか。

明日に続きます!

posted at: 2023-12-21 (Thu) 12:00 +0900