理由なき反抗
20世紀の前半、大衆音楽のメインストリームが白人音楽であることは変わりませんが、 少しずつ黒人音楽に分類されるジャンルも隆盛を見せはじめます。 1920年代はスウィングジャズ全盛の時代。 小編成で洗練されたアドリブを多分に含むフォービートのリズムが人気を得ていました。 技術の観点では映画やラジオが登場、録音環境もぐんと整備され、 新しいテクノロジに対応するように音楽も変化していきます。
ジャズで踊るカップルダンスとしてのスウィングダンスが登場し、 ニューヨークのサヴォイ・ボールルームで人気が爆発。 モボ・モガがオシャレに踊る 20's チャールスルトンは、 30年代に入るとよりワイルドなアニマルダンス化を遂げ、 リンディホップの手組みと習合していきます。 戦争を挟んでスウィングダンスはラテンパートナダンスにその座を譲りますが、 マンボの最盛期はちょうど50年代の前半です。
ところでカップルダンスというのはオトナな文化です。 あるいはオトナであることを指向する文化といえます。 そもそもキャッスル夫妻以来の北米のカップルダンスは大学生にとって必須の基礎教養、 週末のパーティに掛かせない要素でもあったのです。 コリージアト・ダンス(大学生のダンス) が現在のアメリカン・ボールルームの基礎を構成していることを確認しておきましょう。 リンディホップやマンボもこの系譜を確かに引き受けています。 ダンスフロアでは大人として責任ある態度で 社交のルールに従って振る舞うことが期待されますし、 きちんとスーツを着て踊っていました。 エナメルのパンプスを履けない貧しい黒人・ラテン人たちであっても、 コレスポンデントシューズ はしっかりハイシャインに磨いてフロアに出ました。 ダンスはコンペ指向でショウ指向、 個性が出にくいパートナワークよりも ソロダンス/シャインにフォーカスがある のはスウィングにもマンボにも共通する傾向でした。
ただ、50年代の半ばというのは丁度カップルダンスが下火になり始める頃でもあります。 全米で多くのダンスホールが撤退し、 マンボの聖地パラディウム・ボールルームも人気を落とし始めます。 置き替わるように流行ったのがツイストという動き。 そう、ロックンロールです。 オトナな文化が退場させられ、若者のカウンタカルチャが一世を風靡していきます。
この音楽ジャンルは1955年に誕生したといわれています。 最初のロックンロールといわれる Bill Haley & His Comets の "Rock Around The Clock" がリリースされました。 前年の54年には Elvis Presley がデビュー、 その熱狂は凄まじく世界中のあらゆる場所で大衆音楽に影響します。 この音楽ジャンルと同じ頃に "teenagers" というカテゴリが登場し、 若者文化の核として一気に広まりました。 また、「人種音楽」という観点では、 白人音楽としてのカントリーが黒人音楽であるブルースと結合して誕生した、 という説明をよく聞くと思います。 白と黒の融合がロックンロールというわけですね。
このロックンロールと共起した様々な出来事を並べれば、 「若者文化」の誕生やテレビの登場といった文化現象のみならず、 経済的にはケインズ革命と好景気、政治的には冷戦やレッドパージと、 合州国社会全体の大転換が起こった時代であることが分かります。 続くキューバ危機や公民権運動、フェミニズムの台頭などは 音楽やダンスの変遷を辿る上でも重要な契機ですがそれらを準備したのも50年代でした。
さらにいえば50年代の合州国は現代社会の代表的な性格、 例えば大量生産・大量消費社会、管理社会、 機械化社会、便利で豊かな社会、情報化社会、 公害や農薬依存、あるいはコモンズの崩壊といった傾向が 世界で初めてはっきりと現れてきた場所でもありました。
合理性と効率の原理で社会を経営しようとする「管理された資本主義」によって、 戦争よりも儲かる資本主義が力強く展開しました。 合州国におけるひとりあたりの実質可処分所得は1940年にはおよそ7,000ドル、 これが45年には9,000ドル、 55年には10,000ドルを超えます。 54年の好況がアメリカ人の豊かさを倍加、 57年は不況といわれましたが翌年にはすぐに盛り返します。 文字通り「繁栄の50年代」です。 もはや29年のときのような恐慌は発生しないし、 戦争が必ずしも景気の好材料とはならない時代。 その代替として無限に消費者の欲望を喚起する広告・マーケティングが企図され、 供給のみならず需要自体を自前で作り出す 自己完結的な資本主義へとシフトしていきます。
一方で、戦争中に開発されていた化学兵器の研究副産物として発見された農薬は、 戦後圧倒的なスピードで普及していきます。 鳥が消え、川が枯れ、土壌が汚染されるというニュースがちらほら出始めました。 社会的共通資本にもあちこち綻びが確認され始めるのもこの頃。 物質的な豊かさと引き換えに生きる歓びから疎外され虚無感と不安に苛立つ人々が増え、 直接の戦争はないものの、冷戦は深刻さを増し核開発競争は激化していきます。 南側の社会からの収奪と搾取は加速度的に増加し繁栄は外部不経済への依存を深めます。 48年には1%の世帯にしかなかったテレビが55年には75%の世帯に普及し、 映像メディアの時代が到来します。
まさに我々がよく見知っている現代社会の姿が完成し、 ドラスティックに社会が変化していった時代、 それが合州国の50年代だったともいえます。 映画『理由なき反抗』が公開されたのはロックンロールの誕生と同じ1955年。 漫画を読み過ぎた若者たちは無謀なチキンレースによって 空洞化する生を外部から支えようともがきます。
このような社会のダイナミズムを背景に、 若者たちは自由を叫び、反抗し、家出します。 性の放埒に昂奮し、非行に耽り、 ロックンロールでツイストを踊りました。
来たるべき Elvis Presley
さて、ロックンロールはラジオ文化が生み出したともいわれます。 40年代の演奏家組合・ラジオ局・作曲家協会などの間に発生した 経済的な利害対立の複雑な帰結として、 小規模ラジオ局がマーケットを牽引していく環境が立ち上がっていました。 リスナは白人であろうと黒人であろうとチャンネルを合わせれば どちらの音楽を流す局にもチューンすることができるようになります。 こうした条件がロックンロールにおける人種混淆を促進したともいわれます。 様々な時代的偶然が一致して全くそれ以前とは異なる音楽的フィールが誕生しました。
音楽の構造でいうとロックンロールはジャズ由来の3連の基層ビートに ブルースのリズム構造、 カントリーミュージック由来の素朴なコード進行とメロディーという格好が一般的です。
いま試しに元祖ロックンロールである Bill Haley & His Comets "Rock Around The Clock" (1955) を聴いてみましょう。
Duck Duck Go で Bill Haley & His Comets の Rock Around The Clock を検索(外部リンク)
このフィール、確かにブルースにも感じられるし、スウィングジャズともいえます。 これがロックンロールだと感じられるのはドラムのグルーヴでしょうか。 イントロなんかははっきりロックンロールしていますし、 ディストーションの利いたギターサウンドも特徴的ですね。 一方で、少なくともダンサとしては間違いなくスウィングで踊りたくなるチューンです。 リンディホッパなら後半のブレイク部分はきっとスージィQを踏みたくなるはず。 サブディヴィジョンが3連に割れているというのがグルーヴのポイントです。 したがってこの曲、確かに音楽としては新しいフィールなのですが、 ダンスのフィールとしてはファーストスウィングだと感じられるんですね。

それでは次は Presley を聴きいてみましょう。 まずは "Hound Dog" (1956) から。
Duck Duck Go で Elvis Presley の Hound Dog を検索(外部リンク)
これぞロックンロールですね。 もともと Big Mama Thornton によるブルースの曲ですが、 Presley のヴァージョンは見事なロックンロールに仕上がっています。 ただ、ここでの関心はどう踊りたいかというところ。 スウィングダンスで踊れそうな気はしますが若干ノリが違う感じもあります。 先の Bill Haley との比較でいえば3連にはねる感じが弱くなっているのが分かります。 スウィングを踊るつもりの耳で聴くとドラムのフィルインなんかはかなりストレートな印象で、 違和感さえあります。
もうひとつ Presley のお馴染み『監獄ロック』(1957)を比べてみます。
Duck Duck Go で Elvis Presley の Jailhouse Rock を検索(外部リンク)
ここにきて違和感が確信に変わります。 この曲ではサブディヴィジョンがかなりストレートになっていますね。 つまりロックンロールにおいて3連系のノリが4連系に変化している。 『監獄ロック』をスウィングダンスで踊りたくなる人はまずいないでしょう。 冒頭では踊り出したい気分なのですがリズムが前景化した瞬間にずっこけてしまう。 ではどう踊るかといえばソロダンスで踊る以外にありません。 やはりツイストがばっちり決まります。 リズム自体はストレートとはいえ疾走感はありますし、 ウラを押しているパルスもあるのでプッシュ感もある。 ダンサブルな曲であることは間違いないはずなんですね。 ただポリリズム感は相当に希薄で、ほとんど4/4拍子のみのフィールという感じです。
ダンスとの相性
ついでにこれらの曲をラテンダンサならどう踊れるかを検討してみましょう。 やや無理筋であるものの、 音楽フィールとダンスのフィール同士のマリアージュの比較実験です。
まず、 "Rock Around The Clock" はダンスとしてのフィールが完全にスウィングなので、 ラテンダンサ的にはお手上げです。 サルサのステップもメレンゲのステップも無理ですね。 ギリギリ可能かなと思えるのはパチャンガ。 パチャンガはもともとチャールストンのフレーヴァがあるので こういう明白な3連のリズムにも対応できるんです。 とはいえ、パートナダンスではなく独り踊りになってしまいますが。
次に "Hound Dog" はどうでしょうか。 まずフィールとしてサルサでは全く踊れません。 メレンゲで踊るにはちょっとテンポが速いですが、 ティピコを踊るときに使うエンパリサーダという種類のステップなら 苦しいですがギリギリパートナワークもできるかもしれません。
では "Jailhouse Rock" の場合。 これまたサルサとしてもメレンゲとしても守備範囲外の踊りにくいテンポ。 サルサだと手も足も出ませんが、 メレンゲのエンパリサーダでもちょっと厳しい。 やっぱり "Hound Dog" と比べても全面的にリズムがストレートだからですね。 無理矢理フレームを組んでみてもトゥーステップっぽく揺れるくらいにしかならない感じです。
サルサのパートナダンスとして踊れるためには BPM160から220くらいまでのテンポで、クラーベ感のしっかりある、 各楽器がちゃんとトゥンバオしている曲であるというのが最低限の条件。 建前上は4/4拍子ならなんでも踊れる仕組みになっているはずなのですが、 踊り込んでいる脚と耳にとってはサルサのフィールがない曲で サルサを踊るのはなかなかしんどいものがあります。
一方でメレンゲはかなり守備範囲が広い。 BPMは110から150くらいまで大丈夫ですし、2/4とか4/4の曲はだいたい対応できます。 このため、ラテンのジャンルでも決まったスタイルのパートナワークが存在しない音楽を ふたりで踊ろうとすると、 ほとんどすべてメレンゲで踊ることになるんですね。 それでもサルサ同様、 身体に馴染んでいる人にとってはクラーベ感のない曲は脚が動きにくいという印象ですが、 メレンゲの方がジャズやブルースを含む様々なフィールに反応しやすいと思います。
いずれにしても、パートナダンスで踊りやすいということにはどうもポリリズム感、 あるいは3連感の有無が関係していそうです。 そういえばボールルームを考えてもフォクストロットもラグタイムで踊られたのでしたし、 クイックステップやジャイヴも本来はスウィングダンスです。 そういえばそもそもワルツは全面的に3拍子なのでした。 パートナダンスが3連系のフィールを求める、 というのはどういう理由か説明するのは難しいですがひとつの仮説として置いておきたいと 思います。
それでも "Jailhouse Rock" がパートナワーク的に踏みにくいというのはよっぽどポリリズムがないんですね。
ここでは拍を3連に割るというジャズやブルースの方法が、 ロックンロールにおいてわずかの期間の間に急速にストレート化していった、 ということを強調しておきましょう。 黒人音楽の要であるポリリズム感はロックンロールにおいてはかなり弱められ、 よりストレートのフィールに移行したということ。 結果的に3連的なフィールが摩滅してしまいました。 これは白人の聴衆を獲得したことと無関係ではないでしょう。 このため、パートナダンスとして踊れる可能性は激減したが、 ソロダンスとしては充分に踊れるという性格を持っています。
このことと合わせて、 オトナな文化としての社交やマナーを前提とするパートナダンスは相対的に縮小し、 北米の音楽環境において大衆ダンスはソロダンス全盛の時代へと入っていきます。
ポリなきクラーベ
サルサやメレンゲなどを踊るラテン系のパートナダンサにとって、 リズムがある、というのはポリリズム感があるという意味です。 そしてそれは先に検討したようにアフロ=カリビアン音楽の文脈では クラーベ感として感じられています。
一方で北米で演奏される音楽にもアフロ起源の音楽としてクラーベ感があるが、 ポリリズムとは感じにくいものがある、という点も確認してきました。 セカンドラインやケーキウォークに見られるのでしたね。
実は全く同じことがロックンロールにもいえるのです。 改めて "Hound Dog" を聴いてみてください。 ベースのパタンに注目です。 そう、このベースはトレシージョを演奏しています。 ベースのトレシージョというのはサルサのトゥンバオと同じです。 そして世界中のロックンローラはこの Presley の "Hound Dog" をコピーしているので、 このトレシージョはロックンロールのベーシックな手組みという感覚まである。 もうひとつ別の例を挙げましょう。 Bo Diddley の有名な「ボ・ディドリ・ビート」です。
Duck Duck Go で Hey! Bo Diddley を検索(外部リンク)
ほとんどエイトビートといっていいほど真っ直ぐなリズムです。 しかしギターのストロークはオルタネイトでカッティングを刻みつつ確かに ソン・クラーベのパタンがアクセントになっているんですね。 「ジャズズジャズズジャズ・ズズジャズジャズズズ」 真っ向勝負でクラーベです。 にも関わらずラテンを聴く人の耳にはクラーベとしては感じられない別のフィールですよね。 こうして譜面に書けば同じという場合でも聴いたときの感じ方が全く違うということがある。 音楽における判断はフィールが大事というのはここでも利いてきます。
さて、このようにフィールとしてはアフロ=カリビアンなクラーベ感とは違うのだが、 確かにクラーベのリズムやその派生のトレシージョなどが ロックンロールでも使われていることをみてきました。 アフロ=カリビアンとの違いが生じるのは 他の楽器の手組みがクラーベとの噛み合いになっていないとか、 全体から3連のフィールが感じられないとか、 その他にも楽器の種類や音色、ゴーストノートの効果、 マイクログルーヴの伸び縮みなどいろいろ指摘はできるでしょうが、細かい議論は措き、 ここでは感じ方の違うクラーベ感なのだと捉えてみることにしましょう。 つまりロックンロールはアフロ=カリビアン音楽の主要コンセプトであるクラーベを、 アフロ=カリビアンとは異なるフィールで用いるラテン音楽の 近縁ジャンルなのだといってみるのです。 あるいはもっと大胆にロックンロールはラテン音楽だ、とまでいってみる。
実はこれはそれほど無理矢理のこじつけでもありません。 既出の大和田氏が指摘するように、 1955年の夏、"Rock Around The Clock" がヒットする直前の春に大ヒットして 1955年の年間ビルボードチャートの第1位を獲得しているのは何を隠そう Perez Prado の "Cherry Pink And Apple Blossom White" なのでした。
この当時はニューヨーク・マンボの大御所たち Machito や Tito Puente や Tito Rodriguez らがパラディウム・ボールルームで活躍していた頃ですが、 メキシコではキューバから渡ってきた Perez Prado 世界的なヒットを飛ばしていました。 既に "Mambo No.5" で名声を得ていた Prado はメジャーシーンで人気を博していたのです。 ラテン好きにとって音楽ジャンルとしてのマンボは Tito Puente らのイメジが強いでしょうが、 世間一般ではまず Perez Prado のことです。
ともあれ、 Perez Prado の大ヒットに続いて登場したのが Bill Haley なのです。 フィールは異なるものの、その音楽には確かにポリリズムがあり、 続く諸々のロックンロールにもクラーベ派生のリズムの確かな痕跡がある。 そう考えるときロックンロールはラテン音楽のサブカテゴリといえる、 というのはそれほど無理があるとはいえない、という主張なのです。
明日に続きます!