Merengue Panic



Advent Calendar 2024 5日目の記事

アメリカ音楽とラテン(5)

サルサやメレンゲなどのラテン音楽・ダンスは一般的に広く認知されているとはいえません。 「アメリカ」発の踊れる大衆音楽といえば、 ジャズやロック、ファンクやヒップホップというのがメインストリーム。 一方で20世紀のアメリカの大衆音楽・大衆ダンスはラテン的な影響下に 展開・発展してきた、という指摘もあります。 アフロ=アメリカン音楽の中にラテンの潜勢力を発見していく5回シリーズの5話目!

忘れられた者たち

アメリカ音楽が単純な白と黒のハイブリッドではなく、 ラテン世界からの関与もカウントしなければならないと主張してきました。 なぜこのような主張をしなければならないほど 一般にラティーノたちの貢献が過小評価されるかといえば、 それは彼らのアメリカ社会における政治的プレゼンスが低いからに他なりません。 既に人口構成においては白人に次いで最大のマイノリティとなったラテン系ですが、 未だに社会的扱いは三等市民という人もいます。 政治的・社会的な不平等がそもそもの問題ですが、 それが音楽やダンスコミュニティにおける立ち位置にまで影響 を与えるということをよく認識しておく必要があります。

この点を確認した上で、 実はラティーノだけをすくい上げればよいということでもありません。 例えば白人と一口に括っても、 マジョリティであるアングロサクソンではない人々、 例えばユダヤ人やアイルランド系やイタリア系やケイジャン系の人々の仕事は 軽視されがちです。 とりわけユダヤ人やアイルランド系の人々がミンストレルショウで黒人を演じていた点、 ティンパンアレーやブリル・ビルディングで活躍したミュージシャンや 作曲家の多くがユダヤ人であったことなど、アメリカ音楽に大きな足跡を残しています。

また、マンボやサルサのコミュニティについても、同じラティーノとはいえ、 プエルト・リコ系やキューバ系に対してドミニカ人や ジャマイカ人などは言及されにくい存在です。 例えば、サルサを売り出したファニアレコードはイタリア系アメリカ人 Jerry Masucci と ドミニカ出身のミュージシャン Johnney Pacheco によって設立されたのでしたし、 Fania All Stars はユダヤ人である Larry Harlow がバンマスでした。

Zombie photographed by Zora
Zombie photographed by Zora

さらにラティーノのうちでもかなり忘れられている貢献者はハイチの人々です。 既にニューオーリンズの文化が大きく彼らに負っていることを見ましたが、 そもそもキューバの音楽に根っこを提供しているのもまた彼ら。 ダンソンもチャランガもハイチ系の影響なしには成立しない音楽でした。 トゥンバ・フランセサなどはほとんどハイチのダンスと呼んでもいいくらいです。 メレンゲにおいてもムラングやコンパからの影響は直接的なものです。 「アメリカの中のアフリカ」と呼ばれ、 ブードゥーという「未開の」宗教を信じる奇天烈な人々というイメジは現在でも残存し、 政治的安定からも循環的経済からも切れている彼らはいまなお差別されています。

そしてもっと忘れられているのはネイティヴ・アメリカンたち。 北米の音楽もカリブの音楽もその素材はアフリカとヨーロッパにあるというのは 当然の前提とされています。 本稿での議論もクラーベとマンボ、つまりポリリズム感とコール・アンド・レスポンスこそが アフロ=アメリカン音楽のリズム感の本丸である点を強調してきました。 そこにヨーロッパ由来の楽器、和声、旋律が混ざり合って ユニークなアメリカ音楽を構成しているという説明は、 これ自体嘘とはいえませんが、 アフリカとヨーロッパが遭遇した場所アメリカは最初から空っぽだったのではありません。

例えばエスパニョーラ島ではコロンブスの襲来後20年のうちにほとんどの タイノ人は絶滅してしまいましたが、 山間部などでは黒人奴隷たちと混血した人々が細々と暮らしてもいました。 彼らインディオたちは魔術や本草学に通じ、 逃亡奴隷マルーンたちを受け入れて植民者たちへの抵抗の拠点を提供します。 例えばハイチ革命前史の英雄マッカンダルはこうしたタイノの智慧を存分に駆使しながら、 白人農場主たちの使う井戸に毒を入れて回り、 抵抗運動を展開したことがよく知られています。 メレンゲやサルサの歌詞に登場する用語にはタイノ語由来とされる語も少なくありません。 現在一般に通用している語彙でも、 ポテトとかタバコ、ハンモックやカヌーなどはタイノ語だといわれます。 こうした語彙が伝えられていることからもカリブ海で混淆した 黒人奴隷たちとネイティヴ・アメリカンたちは深く 文化的に結合していたとみてよいでしょう。 したがってカリブ海の音楽にも数百年の習合の帰結として ネイティヴ・アメリカンの音楽が溶け出していると考えるのは不自然ではありません。

ところで、 スウィングダンスの故郷のひとつでパチャンガのルーツのひとつでもあるチャールストンは、 サウスカロライナの同名の街で誕生したダンスです。 魅せるダンスと踊るダンスの融合ともいわれ、 すましたフォクストロットと野性的なリンディホップの結節点ともなっています。 その古いスタイルは、 音楽としてもジャズの発展に影響を与えたマーチ風の荘厳な雰囲気を持つジャンルだそうです。

18世紀前半にはチェロキィ族やマスコギィ族の供給する鹿皮を ヨーロッパに輸出する拠点として栄えたこの解放的な港街もまた、 ニューオーリンズに負けず劣らず多様な文化の渦巻く重層的な都市でした。 軍港として独立戦争を含む幾多の戦争の舞台でもあり、 人口の半分が黒人奴隷でありながら、 広くユダヤ教が許されたため、 北アメリカで最大のユダヤ人コミュニティがあったのものここ。 キリスト教としてはメソジストの拠点でもあります。 ガラ語というクレオールが話されるこの不思議な街で チャールストンというダンスが誕生したことは記憶に留めておきたい点です。

なお、サヴォイのレジェンドにしてスウィング・リヴァイヴァルの神様 Frankie Manning は自身の父親がチェロキィ族の血を引いているという話を、 半ば家族神話として大切に語っています。 ネイティヴ・アメリカンたちの息遣いは音楽やダンスの基層の細部にいまも宿っています。

アラブ的ラテン

それからさらにいえばアラブ音楽の影響についての議論もあります。 ポリリズムやコール・アンド・レスポンスと並んで アメリカンポップスの黒さの要諦としても語られる「即興性」について、 これをもたらしたのは誰かというのは専門家の間でもいまだに結論が出ていません。 ここでは有力な仮説として、 これはもしかするとアフリカというよりもアラブ音楽の寄与なのではないか、 という主張を改めて取り上げてみます。

広くアラブ世界、 北アフリカから西アジア、あるいはバルカン半島から中央アジアを経て北インドに至る地域、 そしてイベリア半島ではアラブ音楽の深い伝統が育まれてきました。 先にも少し触れたように「マカーマート」と呼ばれる無数の音階旋法と 「イーカーアート」と呼ばれる複雑なリズム旋法から作られるアラブ音楽は、 「ナザリィ」と呼ばれる高度に数学的な音楽理論の探究と 数多の天才的なプレイヤたちの手の感覚によって鍛え上げられ、 受け継がれてきた実践の積み重ねを基礎とする音楽です。

ヨーロッパ音楽はギリシャ音楽を直接の祖に持ちますが、 アラブ音楽もまたギリシャ音楽から分かれた姉妹のような存在。 微分音や加法的なクロスリズムがフィーチャされることが多いですが、 その実際は様式的な宮廷音楽から庶民のダンスミュージックまで非常に幅のあるジャンルです。 このアラブ音楽において、即興演奏は「タクシーム」あるいは複数形で 「タカーシーム」と呼ばれ、 演奏者の技量を測る重要な要素とされてきました。 ちなみに、この語の原義は「分割する」という意味。 音楽のエートスの総体からいまここにそのインスタンスを分割し、 具体的に表出してみせること、 それが即興するということなのですね。 練習の現場では、 師匠たちから「カッシム!」(即興演奏してみろ) とどやされる生徒をよく目にします。

例えば、アラブ音楽の庶民的リサイタルをハフラといいますが、 日が落ちてから朝日が昇るまで続けるくらいは朝飯前という大変に長いパーティです。 伝統的にはひとつのマカーム(音階旋法)をその夜のテーマとして、 小曲から大曲まで延々演奏するというスタイル。 ここではほとんど演奏者の即興能力に任せて マカームの持つエートスに陶酔するという集団催眠のような楽しみ方をします。 アラブ音楽のことをタラブ音楽と呼ぶこともありますが、 タラブにはもともと人を歓ばす、恍惚にさせるという意味があります。 短い曲はプレコンポーズドなものも多いですが、 これだけ長い時間に及ぶパーティは、 全面的に即興能力に依存しなければ存立しえません。 実際にアラブ音楽では1曲が数時間に及ぶことも珍しくありません。

さて、1492年にレコンキスタが完成するまで数百年間に渡ってスペインは アラブ人に支配されていたということは忘れられやすい歴史的事実です。 コロンブスによるアメリカ「発見」とレコンキスタが同じ年号を持つことは、 アフロ=カリビアン音楽へのスペインの影響を議論する際にも重要です。 アフロ=カリビアン音楽とはスペインの音楽と西アフリカの音楽が習合したものだ、 とされるからで、 もしそうならばスペインの音楽とはどのようなものだったのかを 明らかにする必要があるでしょう。 そして、それがヨーロッパ音楽というよりもむしろ よりアラブ音楽的なものなのだとしたら、 ラテン音楽の直接の故郷のひとつにアラブ音楽を考える必要まで出てくるというものです。

スペイン音楽にアラブ音楽が大きく影響を与えたことは疑う余地がありません。 とりわけ、北アフリカおよびスペイン南部の「アル・アンダルシーヤ」と呼ばれる アラブ音楽のサブジャンルは様式的な韻律の歌詞とリズムモードを組み合わせるもので、 スペインの音楽・ダンスを深く感化しています。 さらにいえば、実は即興演奏だけではなくアラブ音楽の影響は他にもあります。

例えばキューバの古いアンサンブルではウードという撥弦楽器や ナッカラートという打楽器を使っているという記録がありますが、 これらはアラブ音楽由来のもの。 ボンゴという、ある意味で最もキューバ的な打楽器が2連太鼓になっており、 高低の音色が打ち分けられるようになっているのも、 アラブ音楽のリズム理論において「ドゥム」と「タク」 という2種類のアクセントの打ち分けが重視されることに対応する、という見方もできます。

キューバやプエルト・リコのクリオーリョたちにはカナリアの出身者が多くいた、 という点も見逃せないでしょう。 ここは歴史的にアラブ系の人々が多く住む島でした。

そして極めつけはなんといっても最重要のコンセプトであるクラーベ自身が アラブ音楽のルーツを持つのではないかという議論まであるのです。

一般にはアフリカ全般で使用されるタイムラインのパタンにその由来を求めるのが普通ですが、 そもそもクラーベのリズムが記載された最古の書物は 13世紀にイスラム世界でウルマウィによって書かれた 「円環の書」においてでした。 「サキール・アウワル」という名前で記録されたこのリズムモードが アフリカからもたらされたのか、 あるいはもしかするとユーラシアの方が起源だったかもしれないとも想像することができます。

地理的によく考えれば、 ヨーロッパとアフリカの融合というアメリカ音楽のコンセプトはコロンブス以前に北アフリカ、 すなわちムーア人の土地で展開していても何ら不思議はないのでした。 現代アラブ音楽で最も基本的なリズムモードは「ワヒダ・キャビーラ」と呼ばれますが、 これが非常に長く引き伸ばされたトレシージョである、 という指摘もあります。 また、アンダルシーヤ音楽で最重要の音楽形式「サマーイィ」を基礎づけるリズムモード 「サマーイィ・サキール」は10拍子のヘヴィなリズムなのですが、 「サキール・アウワル」とのフィールの関連に言及する人もいます。

いずれにしても仮説とはいえ、なかなか興味深い視点だと思いませんか。 アラブ音楽から見るラテン音楽というテーマでの 専門的で詳細な研究が待たれます。

ともあれ、このように見てくると、 ひとつの音楽ジャンルを作るダイナミズムの因子というのは 想像できないほど多岐に渡るといえますね。 ついラテン音楽のエッセンスはすべてアフリカ由来、といいたくなりますが、 古今東西の様々な文化の影響が複雑に絡み合って出来た、ほんとうに奇蹟のような遺産です。

サライとしてのジャンル

さて、ごく素朴に音楽ジャンルを楽曲の集合と考えることもできますが、 明瞭に分類することができないクロスオーヴァを多分に含む概念でした。 境界は曖昧で見る角度と次元によって全く異なる分類になります。 一方でむしろ、ジャンルとはコンセプトであり、 そのジャンルを巡るイメジが楽曲に力を与え、 ミュージシャンやリスナにアイデンティティを与える概念であるという考え方も見てきました。

ところで、 個が集合になるとその集合は個が持っていたものと異なる独自の性格を持つことがあります。 一段上位の次元で創発したこれらの性質の根拠を下位のものに求めてみても、 なかなか腑に落ちません。 例えばヒトは細胞の集合体ですが、ひとつひとつの細胞の存在論理をいくら積み重ねても ヒトが自意識を持つことの理由を導出することは困難です。 「利己的な遺伝子」の乗り物に過ぎないヒトの個体が、 なぜ他者のために生命を投げ出すことさえできるのかを説明する進化生物学の議論には、 我々に実感をもって納得させる力はありません。

これと同じように音楽やダンスのジャンルというのは確かに楽曲や音楽家の実践の集合ですが、 いったんジャンルとして認識され確立されると、 独自の自律的な性質と振る舞いを持ち始めるのだといえます。 喩えるなら、それぞれの独自性を持つ音楽が世界を旅する隊商ならば、 音楽ジャンルとは水辺に立った交易都市のようなものかもしれません。

Ruins of Ur
from wikimedia.org

多くの隊商が行き交う古代のメソポタミアやエジプトに生じた交易都市のメタファを通じて、 Santana はキャラバンそのものの性質と異なる二次的創発である都市の主体性に、 自らの音楽の可能性を仮託しました。 「ほんとうの音楽」とはあまたのミュージシャンの手技と人生を宿(サライ)としながら、 永遠に転生し続ける旅人である、といえるかもしれません。 そしてこの宿は、数多の隊商たちが行き交う出遭いと別れの現場でもあります。 多くの隊商が出入りするうちに自立化し巨大化した宿、すなわち都市は、 主体化して個々のキャラバンの持っていた性格から遊離した振る舞いを始めます。 そしてこの都市は逆に隊商を支配し従属させる力さえ持った場になっていきます。

ここでアフリカでは伝統的に 現在とは神話的過去のインスタンスである という認識を思い出しておきましょう。 ザマニ(神話的過去)には予め現在を生み出しうるすべてが詰まっており、 それを変奏し、表出したものがササ(現在)なのだという考えです。 この世界観では未来に対する不安や生きる意味の不在からくる虚無感は存在しえません。 なぜなら、 過去が現在の源泉であるという確信はすべての起こり得る未来についても帰納的に適応され、 それは結局永久のザマニのササ化であるという感覚が支えるからです。 端的にいえば、アフリカでは未来という概念そのものが希薄なのでした。

このスキームで語れば、「ほんとうの音楽」とはザマニのことともいえます。 ザマニのインスタンスは様々な具体的音楽(ササ)となって現れる。 これらの音楽はブルースだったりジャズだったりロックンロールだったりを宿にしますが、 ときになんらかの理由で別の宿すなわち別の都市へと出掛けていくことがあります。 ある人にとってはこの街はホームであり、 自身のアイデンティティとして強い帰属意識の対象となります。 この街で生まれ、この街で育ち、この街で見つけたものが自身を作っているのですからね。 また別のある人は街から出てもっと別の都市に行きたがります。 それが若者であればきっと大きな都会を目指すのでしょう。

ロックンロールが人種の壁を壊したように、 サルサがアフロ=カリビアンをまるっと抱え込んだように、 反共主義がカントリーをフォークから分離したように、 マンボのアメリカ化がブーガルーを独立させたように、 音楽のジャンルは分岐し、混淆し、また分裂する。 そこに働く地政学の力は複雑で、友好的な場合もあるし暴力的なこともあります。 時間とともに都市は繁栄したり衰退したりしますが、 「ほんとうの音楽」はそんなこととは無関係に ただあちこちを延々と旅し続けているのみです。

ここで現代アメリカンポップスのメインストリームである ヒップホップのことに少しだけ触れておけば、 いろいろなレコードのブレイク部分だけを切り貼りして繋ぐというこの DJ の方法は、 まさにアフロ=アメリカ的な方法といえます。 良質のレコードとはどのレコードもザマニのインスタンスなのですから、 切り貼りしてもザマニを再構成できる、という信頼があります。 この意味でヒップホップは方法論であって、 各ジャンルを接続するメタ・ジャンルであると考えることもできます。 最も徹底して歴史性や身体性を切り刻む振る舞いの中に、 真に深い歴史的身体性が隠されているともいえるかもしれません。 死者は生者よりも過去をよく知っているのでした。

そういえばアラブ音楽の用語では即興演奏することを「分割する」というんでしたね。 音楽のエートスを分離してみせることが即興演奏であるように、 ザマニを現在に切り出したものがササであるように、 レコードを分割して切り貼りしたトラックは、 まさにアフロ=アメリカ音楽の即興性を結晶化したモンタージュです。

さて、ここまでの議論で、 アメリカ音楽は充分にラテン音楽であるといっていいと思いますが、 もっと踏み込んで、音楽のルーツ、 あるいはダンスフロアのほんとうの主宰者とは 人類知の総体すなわち「ザマニ」であるといっておきましょう。 一方で、創発的次元の問題として、 つまり身体的な知覚に裏打ちされた関係性として、 諸々のジャンル、あちこちの都市への愛着を感じることも禁じ得ません。

サルサの味わいにうっとりする、 メレンゲの奇天烈な香りに鼻を突っ込んでみたくなる、 意味はよく分からないが「ジャズだね」と呟きたくなる、 「ロックンロール、イェイ」とシャウトしたくなる、 そういう気持ちになることがあります。 それが仮の宿(キャラバン・サライ)であることを知りつつ、 軽いナショナリズムをかじって愛情表現してみることもできます。 自分が大事に思っているジャンルが廃墟になっていくのをまざまざと目撃するときには、 うら寂しさを感じます。

ヒトの個的な一生も瞬間のきらめきに過ぎません。 そのわずかの時間で愛すべき音楽やダンスと深く共振できるというのは、 これ以上ない僥倖といっていいでしょう。

ダンスフロアで「僕のリズムを聞いとくれ」と叫ぶとき、 このリズムは「僕の」であると同時に ブルースの、ロックンロールの、チャチャの、マンボのリズムです。 あるいは、 Tito Puente が嫌がるかもしれませんので声を低くしていえば、 それはサルサのリズムでもあり、 つまりは旅するキャラバンを先導する、沙漠の駱駝たちのリズムなのでした。

明日は新しいテーマです!

posted at: 2024-12-05 (Thu) 14:00 +0900