パーティに季節感はない
パートナダンスは、というよりもクラブダンスには、季節感というものがほとんどありません。 どのパーティもだいたい屋内で行われますし、 踊ると暑いので衣裳にも季節感がなく年中同じようなダンスウェアを着ていくことになります。 屋外のパーティなら気温もいくらか影響しますが、 例外的なものを除くと特に季節的なイヴェントというのは ビーチサルサくらいしかありません。 それでも サルサは写実的な演劇性を持たないダンスなので、 季節がダンスのディテイルに影響するということはほとんどなく、 パフォーマンスにおいてでさえターンで桜を表現したり、 ステップでホトトギスを演じるのは難しく、 ソーシャルとなれば普通無理です。
仮装パーティとかドレスコードのあるイヴェントでは ある程度フロアの雰囲気も変わりますし、 場合によっては季節感も出たりもします。 ただ、逆にこうした演出は一般のパーティが普段着すぎることに対する 反動みたいな部分があり、 ラテンクラブダンスはラフさが魅力だと感じる人が多いということかもしれません。
選曲にクリスマスソングが混じるという点で 12月は確かに多少季節感を感じるかもしれませんが、 これも割合としては小さく、強調するほどのものではありません。

それでも和風パーティにはお花見サルサとかお月見サルサなどと 銘打ったイヴェントもときどきあり、 それはそれで泪ぐましい個性のアウトソーシングとも見做せるのですが、 実際の内実としては花の下で踊る屋外イヴェントであるというだけで、 ダンスパーティの内実としてはそれほどの差はありません。
世界中で毎週末行われているコングレスでのダンス経験としての差は、 季節が作るというよりもやはり DJ とダンサの顔ぶれとフロア設備による、 という部分が大きいといえます。 コングレススタイルはそのビジネスモデル自体が没個性指向ともいえます。
一方で、一晩のパーティの流れにはそれなりの変化はあります。 主宰者やインストラクタの MC が入ることがあり、 パフォーマンスやライヴやアニメーションなどでブレイクが入ることもあり、 自然発生的なルエダやマイアミダンスで場の空気が盛り上がる、 などの味変もそれなりに存在します。 ただ、純粋にソーシャルのみのパーティの場合、曲が掛かって踊り、 次の曲が掛かってまた踊り、ときどき疲れたらドリンクを飲み、 また次の曲を踊って、をパーティが終わるまで繰り返すだけ。 それでも多くのパーティが特別な仕掛けなしにダンサを集めるのは、 選曲のリズムがパーティの緩急を作るからです。 速い曲とゆっくりな曲の幅があり、 長い曲と短い曲の展開があり、 サルサ・ドゥーラのあとのチャチャとか ロマンティコのあとのメレンゲなどがダンサの心のダイナミズムを作ります。 ダンスパーティの肝腎はやはり音楽とダンスと人なのでした。
このように一晩の流れには強弱の変化があり、 音楽ジャンルが作る色彩的な変化を感じとることもできます。 とくにこの色彩の変化を無季節のダンスフロアに投射された夢幻の季節感と捉えるとき、 一晩の間にめまぐるしく周回し続ける四季を感じることもできないでしょうか。
春はメレンゲ
というわけで春を感じてみましょう。春はメレンゲ。
メレンゲは陽気で明るくちょっぴり変態的な音楽でもありますから 春のイメジにピッタリです。 なんとなくウキウキするし難しいことを考えずとも足が動きだしてしまうグルーヴがあります。 音楽的な情報量は非常に多いので音をしっかり掴まえようとすれば、 ステップを複雑に分岐させることも可能です。
パートナワークは素朴で単純、一緒にくるくる周るメレンゲターンか、 フォローをリードが回すアンダアームターン、 開いて結んでの動き、 それくらいで踊るのがヴァナキュラなスタイル。 ただ、もっと複雑なことをしようと思えばほとんどのサルサの 手組みも組込むことができる自由度の高いスタイルです。
ソロとパートナワークの割合は人によってかなり幅があるのもメレンゲの特徴。 ずっと組んで踊ることもできますが手を離してステップで遊ぶこともできます。 輪っかになって、場合によってはそれぞれお酒片手に、 メレンゲのステップを踏んで楽しむのもよく見る光景で、 この場合はずっとソロダンスということですね。 100対0から0対100までいけるのがメレンゲの懐の深さ。
目一杯テンションの高いパーリーピーポーも、 穏やかでエレガントな紳士淑女もそれぞれ対応できるスタイルがあります。 パートナワークは全くできないけれど出鱈目でもいいから足を 踏み鳴らして盛り上がりたいという部族と、 ソロダンスは苦手でパートナと踊っていないと不安だと訴えるはにかみ屋さんが、 隣り同士同じ曲で踊ることができるのがメレンゲです。 個性という観点でいえば、 オリジナリティ全開で踊り狂ってもいいし、 ずっとベーシックという全くの無個性スタイルまで選択できます。
ところで、このただベーシックを踏んでいるだけというのは見方によると逆に個性的でもある。 いわば無個性の個性とでもいうべきなのですが、 というのも徹底的に何もせずにに踊ると ベーシックのクオリティやコネクションの良さがダイレクトに分かってしまうからです。 音の感じ方もごまかしが利きにくい。 なので、ダンスのトレーニングを受けていない人がこのベーシックの方法を選択すると どうしてもテンションの高さでごまかすようになりますが、 これを美学のレヴェルにまで引き上げたものをエンパリサーダと呼ぶこともできます。 コングレススタイルとの親和性は低いですが、 少なくとも踊っているふたりのエナジィレヴェルが合っているなら、 ウェーイといいながら突き抜けて踊ることができます。 相手がやや引いているくらいで空気を読んでしまう人には使えません。
メレンゲの型
このように自由なメレンゲですが、 パートナワークにおいてもソロダンスにおいても決まった型らしい型が存在しません。 一応ベーシックステップをイチニイチニと左右交互にキューバンモーションで踏む、 という最低限の合意はあるとはいえるかもしれませんが、 例外が多いのも事実。 とりわけヴァナキュラなドミニカーノのスタイルだとなんでもありみたいに踊る人もいます。 そしてこの型がない、 ということがコングレススタイルのサルサに慣れている人にとって メレンゲに対する不満の筆頭 なのでしたね。 自由に踊れといわれると何も踊れなくなってしまう。 型がないなら練習のしようがないとなってしまうのでした。
コングレスダンサたちのこの自覚的に自由を選択できない及び腰な感じは、 逆にヴァナキュラな身体性を持っている人たちからすると、 「自分の踊りを持っていない軟派な連中だ」とか、 「自由に踊れないなんてアタマデッカチだな」と罵られることになります。 制度的教育に飼い馴らされた中産階級への痛烈な批判ともいえるでしょう。

上記の『メレンゲ入門』の記事ではこのダンススタイルとしての型の不足は、 メレンゲのリッチな音楽的内容で補完しましょうと主張しています。 つまり、ミュージカリティからダンススタイルを引き出すこと。 メレンゲはそれ自体がサルサと同等といえるほどに音楽的な複雑さを持ちます。 そのサブジャンルとしても、 ティピコやペリーコ・リピアーオなどの古いスタイル、 ジャズ・レンゲやロマンティコなどドミニカーノ全盛期の頃のもの、 テクノ・レンゲ/メレン・ラップといった周辺領域とのミクスチャに デンボウやメレンゲ・デ・カイエのようなモダンスタイルまで多岐に渡ります。 レゲトンやヒップホップとも近く、アフロ=カリビアン音楽の総体と深く通底しています。
楽曲の基本的な構造としても典型的なサルサと同様大きく平歌と山場の対立があり、 メレンゲではジャレオと呼ばれる山場に ホーンセクションの掛け合いマンボが含まれるのでしたね。 そしてアフロ=カリビアン音楽の本懐といえばこのマンボとクラーベのフィールなのでした。 メレンゲは両者を明確にがっちりと湛えている、 まさにアフロ=カリビアン音楽の金字塔であり、 ダンサにとっては音楽入門として最高の教材でもあります。
メレンゲの周辺ジャンル
音楽としてのメレンゲはかなりしっかりした構造と定義を持ちますが、 ダンスとしては型らしい型がない。 ところがこの性質は裏返すとどんなジャンルのダンスでも 2拍子や4拍子でカウントできるならどんな曲でもメレンゲのステップで踊れる、 という汎用性の高さにも通じています。 これは型がないことのメリットといえるでしょう。
実際、サルサクラブに行ってレゲトンやトラップ・ラティーノあるいはハウスっぽい曲、 ラテンポップ、ムーシーカ・メヒカーナ、よく分からないバラーダや四つ打ちなど、 決まったステップで踊れなさそうな曲をなんとか パートナワークにしようと思うとほとんどのケースはメレンゲで踊ることになります。 ソロダンスとしても一番簡単なのはメレンゲベーシックですね。 このことが原因で、 メレンゲを掛けますといって全く音楽的にはメレンゲではないジャンルの曲を掛ける DJ さんまで出てくる始末です。 とはいえ、ダンスフロアの都合でいえばそうした違いはあまり問題になりません。 厳密なジャンル分けよりもみんなが楽しく踊れるかどうかが関心なのですから。
例えばレゲトンにはソロダンスとしては決まったステップも独特のフィールもあります。 したがって出来る人はレゲトンを踊るのですが、 コマーシャルダンスあるいはパフォーマンスダンスとしての側面も強いレゲトンは、 ソーシャルの現場でで本気に踊るというのもやや大袈裟。 そもそもグループダンス向きのステップの中にはソロダンスには合わないものもあります。 なので、フロアではただメレンゲ風に揺れるか、 バウンスやチェストバンプ、 ニーフリップくらいの小さめの動きでリズムに乗るだけというのもよくあります。 もっと露骨な踊り方までありますが、 いずれにしてもどんな風に踊っても誰にも文句はいわれない自由なダンスです。
また、デンボウは今風のハウス系・ラップ系ジャンルですが、 音楽の系譜的には直接的にメレンゲとも関係します。 こちらもダンスはかなり自由にヒップホップやレゲトンの感じで踊る人が多いでしょう。 ほとんどステップにジャンル感はありませんので、 目一杯個性を主張できるダンスです。
型を学ぶメリット
さて、音楽から型を引き出す感覚を掴める人はいいのですが、 なかなか音楽を詳しく学ぶのはそれはそれで大変ですし、 それをどのようにダンスに翻訳するかのイメジが湧きにくい人もいるようです。 この意味でもやはりメレンゲはそれだけを踊るというよりも サルサあるいは他のジャンルと一緒に習得するのが好ましいといえます。
そうなると面倒なことはいいから、とにかく自由に踊ってしまえという人もいます。 この状態が文字通り「形なし」 になって格好わるいあるいは相手にもちょっと嫌がられる場合があるかもしれません。 メレンゲが警戒されるのはまさにこれなんですね。
型があることのメリットはまず不安を取り除けること。 型通りにやっているんだから批判されたり不満を言われれたりする 筋合いはないと理論武装できます。 自信のないうちは特に何か外部に参照点や権威ある物差しが欲しいものです。 さらに完成形が示されており、上達の尺度が分かるので練習にも張合いと目標が作りやすい。 つまり学習効率がいいのですね。
例えば伝統藝能のような示強性のダンスでは型への習熟は稽古の基本です。 型をマスタしなれば先人の成果を引き継げず、次に伝えることもできません。 そしてよく言われるように「型に入りて型を出ず」、 型をしっかりマスタした人はその型を破って新しい扉を開く段階に入っていきます。 世阿弥にいわせれば「守破離」ということで型を破った者はさらに 高次の段階として型を「離れる」という境地まであるといいます。 あるいは武術の世界では達人の技を「歩けば型になる」とか「動けば型になる」 と表現することもあるようです。 考えようによっては個性を抑圧する型稽古が最終的には最も強靭な個性を作る、 というのは肝に銘じておきたい大切な教えです。 型を知らない者が勝手にやるのはただの形無し、 型破りはいいが形無しは駄目だ、とも言われます。
ここには型と個性を繋ぐ重要な鍵があります。 単に型を持つこと自体が悪いというのではない。 ただ、単に型に依存するだけになってしまっている状態では物真似に過ぎず、 誰かみたいに踊れたらそれで満足するという心性で、 「守る」という意識さえない場合が問題です。 不安を取り除くことのみが目的で、 ダンスそのものを楽しむとか自分のダンスを作っていくという動機はなく、 踊ることよりも踊れるように見えることへの執着が垣間見えます。 これがラティーノたちの庶民的直観力では「ダサい」と感じられるのです。 ゆえに彼らはスタジオレッスンへの違和感を抱えてエンパリサーダの「型」に戻っていく、 こういう図式を見てとることができます。
ところで、力を抜けというのは多くの身体技藝で教えられる基本ですが、 反復的な型稽古はその感覚を掴むのに役立ちます。 実際メレンゲのベーシックステップも上下の連動を覚えたら徹底的に反復し、 身体の細胞に覚え込ませる必要があります。 酔っ払っていても、風邪を引いていても、 どこか痛くてもいつでも再現できるくらいになるには反復練習しておくというのは 型稽古の基本。 ただし、 大人の場合は反復練習だけだと身体を痛めるリスクもあるため、 状況に適応できるように組み立てられたドリルがある方がよく、 綿密に考え抜かれたメソッドがあると極端に効率的に学習することができます。
連動するベーシックを身に付けるとか、自転車に乗れるようになるとか、 逆立ちができるようになるというのはひとつの型の習熟ですが、 それをしっかり練って練ってクオリティを上げていくことであるときふっとその原則を 破っても動きの流れが疎外されないという感覚を掴むことができるはずです。
型がないことが型であるようなダンス、それがメレンゲであり、 究極的には自由に踊ることができるダンスです。 ここでは一旦自分の型を止め、別の型を試してみることもできる。 多様なダンス観の中から意志的に自分のオウンスタイルを選択するための実験場として、 メレンゲは特権的なダンスジャンルになっています。
明日に続きます!