Merengue Panic



Advent Calendar 2024 11日目の記事

春はメレンゲ夏はチャチャ(3)

サルサの踊り方は人によってそれぞれ。 ダンススタイルの差以外にも、 個々人のダンス観や身体能力、 フロア経験の蓄積などによって十人十色の個性が生じます。 加えて多様な音楽・ダンスのサブジャンルとの付き合い方が、 ダンサの姿勢や型を形作っていく奥深いメカニズムがあります。 自分の踊りを持つことの大切さとその自覚的な選択の可能性を探究する 6回シリーズの3話目!

シャインの動機

パートナダンスは好きだがシャインは苦手、あるいは嫌いという人は少なくありません。 フォローとリードがどちらも苦手ならずっとパートナワークをしていればいいし、 どちらもシャイン好きなら多めにするということで問題ありませんが、 厄介なのは考え方が相容れない場合。

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from wikimedia.org

ダンス中に手を離されてシャインに放り出された瞬間、 一気に身体からエナジィが失せ、 弱々しいベーシックのまま早く戻って来てと懇願の目で訴えるフォローはとても多い。 また、フォローばかりでは詰まらないから少しはシャインさせて欲しいと思っていても、 延々パタンを繰り出し続け1曲ずっとパートナワークというリードもいます。

そもそもパートナダンスにはどうしてシャインとパートナワークがあるのでしょうか。 そしてその理想の配合を決定するのは何でしょうか。

ごく素朴にいえば先に見た通り、シャインはオリジナリティを表出しやすく、 パートナワークは個性を出しにくい。 シャインは比較的ステップ数が豊富だし、オリジナルのステップを考案したり、 即興的に変化させたりするのも容易であるというのは確かでしょう。 また、パラディウム時代のマンボで多くのダンサが強調していたように、 シャインはリードとフォローのフェアな掛け合いだが、 パートナワークは一方的にリードに従わなければならないので、 フォローからすればディクテーションだ、という不満をいう人もいます。 パートナワークの非対称性 の問題ですね。

即興性や創造性、パートナ同士のフェアネスの観点などを踏まえると パートナワークよりもシャインが好まれるのでした。 さらにいえばもともとダンスはソロダンスの方が基本的なあり方で、 パートナダンスの方が後発の仕組みであることから、 より原ダンスの動機に支えられているのはソロダンスステップということになります。 つまり、自由に踊りたいとか、 特定のステップを踏みたいという欲求はパートナワークより古いということでしょう。

さらに消極的な理由としては、 リードにとっては、 ずっとターンパタンを続けていると途中でリードを休みたくなる、というのがあります。 リードはマルティタスクなので割と神経を使います。 それで少し休憩としてシャインをするという場合もあります。 あるいはパタンが売り切れるのでシャインする、という場合も。 初心者だったり、相手のフォローの技量的に受けられるパタンが少なかったりという場合は、 むしろシャインで掛け合う方が間が持つのですね。 または、相手のフォローが痛いとか不快な場合。 指環をしていたり、指を握るタイプのフォロワの場合、 こういうケースでも手を休ませたくてシャインをするということがあります。

逆にフォローにとってもリードに不満がある場合、 これはリードよりもいろんなケースがあるでしょうが、 ついシャインに逃げたくなるというのはあるでしょう。 リードのパタンが手荒だとか退屈だとかよく分からなくてイライラするとかいう理由は よく聞きます。

積極的な理由としてはまずはミュージカリティ。 1曲のダンスの中でどこをパートナワークにしてどこをシャインにすべきか、 という議論はなかなかリードの中でも見解の割れるところ。 ただ、ごく一般的な原則としては音楽がソロパートに入ったときはシャインにすべし、 というのはよく聞くアドヴァイスです。 音楽の即興性が高まるときにはダンスも即興しやすいシャインで応じるという関係ですね。 他にもマンボのときにシャインをすべきかとかブリッジはシャインがいいとか、 イントロは必ずシャインからとかいろんな議論がありますが、 これはその人の美学やダンスと音楽の理解などに関わりますから人それぞれです。

それから音ハメの都合。 ちょっと込み入った音ハメがある場合、それをパートナワークでヒットするのは困難。 慣れていないリードだと自分が動けてもなかなか急にはフォローは制御できません。 だから気持ちよくヒットするにはシャインの方が好都合というのはあります。 またフォローの立場でも自分でヒットしたいから シャインにしてくれると嬉しいという声もあります。

もっと素朴にシャインが好きだからとりあえずシャイン、ということもありえます。 パラディウム以来の伝統で on2 ダンサはシャインをたくさんし、 on1 ダンサは比較的パートナワーク中心というのは傾向としてはありますね。 キューバンの人でもスエルタ大好きという人は一定数いるようです。

シャインの華は掛け合い

ときどきシャインに分かれた途端に一心不乱に決まったルーティーンを始める人がいます。 相手にアイコンタクトをするでもなく、 音楽のフレーズに合わせて再パートナアップのタイミングを測るでもなく、 自分の世界に行ってしまうのです。

これはちょっと頂けません。 シャインは単なるソロダンスではなく掛け合いであるがゆえにシャインなのでした。 ダンサ同士のコール・アンド・レスポンス、つまり呼び掛けと応答の往復が シャインなのであり、 会話になっていないシャインはふたつのソロダンスの併置に過ぎません。 シャインが会話ということはここでもやはり聴き上手であることが両者に求められます。 パートナワークと違ってイニシアティヴをとる側は決まっていませんので、 即興的に先手と後手を取り合っていきます。 お互いがどのように音楽をステップに翻訳するのか、 ボディムーヴメントやスタイリングも含めてその解釈を差し出し合う。 相手の動きに当意即妙なアンサームーヴを返すのは高等テクニックかもしれませんが、 上手く噛み合っていると外から見ていてもとてもスリリングです。

掛け合いが苦手

一方で、シャインが苦手という人の意見です。 一番よく聞くのはシャインは恥ずかしいということ。 ダンスを踊る人が恥ずかしいも何もないだろうと思う人もいるかもしれませんが、 パートナダンスというのはリード・アンド・フォローのお陰で 藝能性を隠しつつも表明することができるという巧妙なフォーマットでもあります。 つまり、独りなら踊れないが、ふたりだったら踊れる。 自分独りが真っ直ぐ眼差されることには耐えられないが、 誰かと一緒ならそのリズムに支えられて恥ずかしさが中和され、 日常では秘めている藝能性を発揮できる、というような気分があります。

もともとソロダンスを踊ることが好きな人はシャイン好きになりやすい。 こういう人はリズムを感じると心が躍る人です。心が躍って身体も踊る。 内側から湧き上がってきてどうにも抑え切れない原的なダンス欲求に開かれているのですね。 これは本来的なダンスの動機であり、おそらく誰もが持っていたはずの人間の本能です。 踊る欲求を素直に表明できる人は、 音楽の好みを問題にしなければ一般のディスコやクラブでも充分に満足できます。 わざわざパートナワークなどという習得が面倒な技術に頼る必要もありません。 ただ、現代ではいろんな事情でこうした古い感情は抑圧してしまっている人が多いのも事実。

また、やや困るのは、シャインを踊る消極的な理由と関係しますが、 シャインに離されるというのは自分とパートナワークを踊りたくないという 意志表示だとネガティヴな意味に受け止めてしまう人もいます。

こうしてパートナダンスのフロアでは少なくない割合を、 パートナワークはいいけどシャインは嫌、という人が占めることになります。

ジェンダの問題

実はこの現象は単にソロダンスの好き嫌いというだけでなく、 パートナダンスのジェンダ問題とも深く関係するトピックです。 この問題を詳しく展開するのはまた別の機会としますが、 サルサにもヴァナキュラなダンスであろうとする圧と 都市的なダンスであろうとする圧の引き合いがあると見做すこともできます。 伝統的な社会では洋の東西を問わず、男性は楽器の演奏や作曲を領域とし、 歌とダンスは女性の領域と考えられていたのでしたね。

ひとまず、ここではフィギュア決定権を持っている男性リードには、 シャインが苦手なフォローと踊るときは基本的にパートナワーク主体で踊るよう心掛ける、 ということをマナーとしてオススメしておきます。 手を離したらスッと顔から生気が消えるようなフォローの場合、 4ベーシック分以上のシャインに放置することは単なる意地悪です。

ともあれ、シャインは身体運動上の制約がなく圧倒的に自由ですから、 お互いに楽しめる相手の場合にはぜひしっかり掛け合いをしてみて下さい。 より音楽とのコネクションも活用できますから エナジィフローの統御やブレイクのヒットなど、 ミュージカリティアップのトレーニングにもなります。

夏はチャチャ

では夏の気分です。夏はチャチャ。

暑いときにあまりパートナにくっ付きたくないのでこれはもうシャインの季節。 気分はハイな季節ですから、どんどん即興的にステップを繰り出したい。 そんなときはチャチャやブーガルーがオススメです。

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先にも議論したようにチャチャには特徴的なベーシックステップがありますが、 パートナワークよりもシャインに重心が置かれたスタイルです。 サルサのシャインよりもチャチャのシャインはチャチャステップがある分変化に富み、 またテンポもゆっくりなのでそれなりに複雑なこともしやすいという特徴があります。

音楽的にもサルサのエッセンスが詰まっているのがチャチャ。 グルーヴィな曲やソロが多い曲もたくさんあって即興的に踊るには最適の音楽です。 ミュージシャンにとってもチャチャは腕の魅せどころが詰まった演奏しがいのあるジャンル、 ライヴでもよくセットリストに組まれます。

また、ブーガルーはこのチャチャがロックンロールやファンクと習合したもの。 パートナワークのステップはほとんどチャチャと同じなのですが、 シャインはよりアメリカンなステップを取り入れることができるので ソロダンス好きにとってはレパートリの幅は大きく広がります。 アフロ=アメリカンダンスのすべてのステップがソース。 シャインを踊りたいというつもりならサルサよりも遥かに自由度が高いのが チャチャやブーガルーです。

もちろん、チャチャをずっとパートナワークで踊るということも、 やろうと思えばできます。 ただステップがゆっくりなのでサルサほどダイナミックな踊りにはならず、 どちらかというと回転系よりも移動系のパタンを使うことになり、 フォローにとってもステップをゆっくり踏まないとすぐに走ってしまうのがチャチャ。 少しスローなチャチャになると、 パートナワークを間延びさせずにたっぷり時間を使って踊るのは、 初中級同士くらいのペアではかなり難しいと思います。 一般的には半分以上をシャインで踊るのが適当ではないでしょうか。

一方、ブレイクや曲の展開にも多様性があるのがブーガルー。 なかなか知っている曲で踊るというチャンスは少ないかもしれませんが、 狙ってブレイクをヒットする楽しみはブーガルーならではといえます。 曲調の幅が広いので一概にはいいにくいですが、ブーガルーはチャチャ以上にソロダンス指向。 完全にシャインだけというのも充分に行けますし、 半分も組んで踊ると逆に違和感があるくらいですね。 また、ファンク色が強いブーガルーだと、 リズムのフィールとしてほとんどパートナワークができないということもあります。

アニメーション向けのチャチャ

それなりにシャインのシラバスをこなし、 ステップのヴォキャブラリを持っているハイエンドダンサには嬉しいチャチャタイムですが、 初心・初級くらいの人にとってはチャチャステップの速いタイミングが難しい。 そもそも上述のようなシャイン苦手派にとってはなかなか パートナと踊りにくいという人もいるでしょう。 そういう人にとってもチャチャを楽しめる機会がアニメーションです。

コングレスのソーシャルパーティは朝まで夜通しというケースも多いですが、 途中でアニメーションというブレイクが入ることがあります。 長いソーシャルに緩急をつけるという意味もあるでしょうし、 ゲストダンサにとってはお仕事をしてる感が出るという理由もあるように思いますが、 ともあれ、このアニメーションでチャチャが使われるということがよくあります。

アニメーションとは全員で踊るマスダンス、 だいたいゲストやインストラクタ級のダンサが前に立ってコールし、 みんなで同じステップを踊るアトラクションです。 スウィングだと「シムシャム」とか「ビッグアップル」 といった全員が予め知っていると期待される決まったラインダンスが存在しますが、 サルサにはそうしたダンスはありません。 そのため、コール役の人を皆で必死に物真似するという遊びになるのですが、 これにも付き合える人と苦手という人が分かれます。

文化的にサルサはスウィングよりも共同体意識が希薄なので、 マスダンスとの親和性が低いんですね。 自由度が高く個性を表現するためのソロダンスを群舞として 踊ることへの違和感をいう人もいますが、 それでもアニメーションタイムになるとせっせと列に並んでステップを踏む人も一定数おり、 このフロアの一体感が気持ちよいと感じるようです。

個が群体に融解する感覚に快楽を感じるというのは最も古いダンスの誘引でもあります。 古代の群舞から最も遠いところまできてしまったパートナダンスを踊る人々に、 未だに原始人の魂の欠片が残っていることを確認させる仕掛けと見ることもできます。

ともあれソロダンスであるアニメーションには、 チャチャやブーガルー、メレンゲやレゲトンなどがしばしば登場します。 群衆に融合して個の境界が消失する感覚が大事なので、 実際にちゃんと動けているかどうかはあまり問題になりません。 ここではエナジィレヴェルは高くなければなりませんから、 音楽的なテンションは高い方がよく、 同時に初級者でも付いてこれるようにステップはゆっくりな方がいい。 サルサは速すぎるしバチャータだと音楽の情報量が少なく沸点が遠い。 そうするとよりスローでリッチなチャチャやブーガルーは最適ということになります。 メレンゲやレゲトンには全くダンス未経験の人でも参加しやすい長所もあります。

ここでも個であることを指向する人と集団との融合を指向する人の間の グラデーションを見てとることができますね。

個性と型、シャインとパートナワーク、ソロダンスと群舞、 ヴァナキュラなコミュニティと近代的都市、男と女。 こうした二律的な指向性の差を諸々抱え込んで成立しているのがサルサ・コミュニティ。 なかなか意見が合うはずもありませんが、この多様性こそサルサ的ともいえますね。

明日に続きます!

posted at: 2024-12-11 (Wed) 12:00 +0900