Merengue Panic



Advent Calendar 2024 13日目の記事

春はメレンゲ夏はチャチャ(5)

サルサの踊り方は人によってそれぞれ。 ダンススタイルの差以外にも、 個々人のダンス観や身体能力、 フロア経験の蓄積などによって十人十色の個性が生じます。 加えて多様な音楽・ダンスのサブジャンルとの付き合い方が、 ダンサの姿勢や型を形作っていく奥深いメカニズムがあります。 自分の踊りを持つことの大切さとその自覚的な選択の可能性を探究する 6回シリーズの5話目!

サルサとコントロル

最初に「サルサ」という語が音楽ジャンルを表すようになったのは1970年前後。 ニューヨークのラテンミュージシャンの間のジャーゴンとしてですが、 この文脈で最初の使用が確認されているのは Richie Rey と Bobby Cruz のアルバム "Los Durisimos" (1968) のジャケットにコピーとして入れられた "SALSA Y CONTROL" という表現でした。 (『オラ・デ・ラ・ソラミミ(川崎編)』

ただ、よく考えてみると、 「サルサ」がいろんな味の混ざったソースだから 様々なサボールが溶け込んだアフロ=カリビアン音楽を総合したジャンル名として使われた という説明は理解できますが、後ろの「コントロル」の方がいまいち分かりません。

スペイン語の control はほとんど英語の control と同じ意味、 salsa と併置してあるので名詞用法ですが、 おおよそ「支配」「統御」「操縦」といった概念です。 「サルサと統御」、スッとは腑に落ちませんね。

Salsa y Control
album art of "Salsa y Control"

この成句は後に Lebron Brothers がそのままタイトルにして "Salsa Y Control" (1970) を発表したことで多くの人に認知されました。 「サルサ」という語自体がこの楽曲によって広まったんでしたね。 この曲では典型的な「リズムがいいゼ楽しいゼ」タイプの詞が歌われ、 リフレインで使われるこのフレーズに意味があってもなくても構いません。 ここでも「コントロル」の意味は曖昧です。

そこでファニアレコードの公式な説明を参照してみると 「スウィングするがしかし同時に抑制的でもあるのが Lebron Brothers のスペシャリテだ」 と書いてあります。 つまり「コントロル」は抑制ということなんですね。 他の場所で Richie Rey も説明しています。 曰く「サルサ」はアップテンポなノリのある曲、 つまり、ソン・モントゥーノやマンボ、 ワワンコ、ブーガルー、デスカルガなどを指すのに対し、 「コントロル」はもっとスローなバラード系の楽曲、例えばボレーロを指すのだと。

60年代や70年代のラテンのレコードの多くは、 1枚1枚が様々なジャンルの楽曲で構成されています。 「マンボ」とか「デスカルガ」とか「ブーガルー」に加えて 「バラーダ」や「ボレーロ」などが混ざっているのが普通でした。 例えばアルバム "Salsa y Control" のファーストトラック "Tu Llegaste a Mi Vida" はスローバラーダで、広くボレーロといえる曲です。 "Regresa a Mi" や "Estoy Loco" といった曲もボレーロで、本作の8曲中3曲がボレーロなのでした。 "Durisimos" も同様に確認してみれば、 "Libre Soy" 、"Quédate Con Nosotros" 、 "Yo La Vi" とこちらも9曲中3曲が ボレーロないしバラーダです。

改めて確認しておくとレコードは1曲単位ではなくアルバム単位を基本カテゴリとしています。 A面とB面にそれぞれどのような曲を並べるかということが緻密に計算され、 全曲の流れの総体まで含めて作品でした。 するとトラックリストの緩急や抑揚ということが大事になる訳ですが、 そのコンセプトそのものを表現しているのが "Salsa y Control" ということなんですね。 ソン・モントゥーノやブーガルーのリズムのよさは、 しっとり聴かせるボレーロによって増幅されるのでした。

大まかにいえば、 "Salsa Y Control" というときの "Control" とはボレーロのことといっていいでしょう。 そして、ボレーロとは往時のアルバムでは欠かすことのできない、 サルサという主演出に対する副演出なのでした。 ここでボレーロが必要とされるのはまさにコントロル、抑制を利かせるためです。

サルサのような音楽はアフロ=カリビアンのグルーヴの素であるクラーベ感がきっちりあり、 マンボと呼ばれるホーンセクションの掛け合いがあって、 とても盛り上がるようになっているんですね。 作りとして気分を上げるしウキウキさせます。 こうした強い刺戟のリズムは慣れてくると もっと強い、もっと黒いリズムをどんどん欲するようになります。 昂進性があり、中毒性がある。 なのでちょっとうっかりするとすぐに曲はどんどん速くなり、 ポリリズムが複雑になり過ぎて大衆性を失うほどに難解で敷居の高い音楽になってしまいます。

中毒性の高いものはなんでもそうですが、 長く楽しみたければ刺戟の昂進を緩やかにする必要があります。 限界を超えることは比喩ではなく生命の危険まである。 これを抑制するには上げて下げてを繰り返すようにアレンジすること。 そうすれば振幅のおかげでわずかな刺戟増加を充分に大きく感じることができ、 ゆっくり死ねるというわけです。 氷水に浸かった後ならば、ぬるま湯の風呂でも熱く感じるのと同じ理屈です。 したがってサルサのような音楽はちゃんと中和材としてのボレーロを挟んで 「コントロル」することが大切なのですね。

ラテンのアルバムの構造がこのようになっていることはそのまま ソーシャルパーティのスピンでも参考になります。 サルサ 100% のイヴェントができないわけではありませんが、 メレンゲやバチャータを少しだけ挟むことでサルサの魅力もぐっと上がるということがある。 ナポリタンのレシピ のポイントは隠し味にマスタードを入れること。 これでケチャップの甘みがぐっとしまるのでした。

もしサルサのみにするならばテンポや曲調、リズムの強さなどで幅を出すことで 代替する工夫が必要でしょう。 先のファニアの説明に引き付けるなら、 ジャンルとしてのアッパ系とダウナ系の対比が「サルサとコントロル」ですが、 もっといえばサルサの中にも上げていく力と 落ち着けていく力の両方があることが魅力を倍加していると考えることもできます。 そうすると「サルサ」とは昂進性の刺戟的リズムの謂いでもあります。 このバランスをどうとるかがミュージシャンの、 DJ の、 そしてダンサの個性を作るまた別の軸と見ることもできます。

冬はボレーロ

さて季節は巡って冬。冬はボレーロ。 寒い冬に刺戟の強い運動は身体に負担が大きいですし、 コネクション中心にゆっくりと踊りたいですね。 意識レヴェルを下げ、明鏡止水の境地で踊れるボレーロに最適です。

Snow
from wikimedia.org

もともとボレーロはチークダンス。 フルコンタクトで揺れるだけのプリミティヴなパートナダンスです。 リードとフォローが一致し融合するパートナワーク。

音楽としてのボレーロはもともとキューバ産ですがメキシコで人気を持続したジャンルです。 ボレーロというと18世紀後半のスペインの3拍子の音楽を思い浮かべる人もいるでしょうが、 基本的にキューバのボレーロは2拍子系の歌曲。 両者には関連があるという人とあまり関係はないという人がいます。 ラヴェルの『ボレーロ』は3拍子で前者ですね。 キューバの人にとっては拍子の違いはそれほど問題ではなく、 同じフィールを違う拍子で表現するのは朝飯前ですから、 ヨーロッパのボレーロのフィールがキューバン・ボレーロの霊感源になったといっても 別におかしなことはなさそうにも思いますが、どうでしょうか。

ともあれ、キューバのボレーロはスローテンポで歌われるギター音楽です。 19世紀のおわり頃にサンティアゴ・デ・クーバで生まれたとされ、 トローバの伝統に根差しています。 打楽器のリズムが入るときは主にボンゴでグルーヴを作ります。 このボレーロのコンセプトを端的に表しているのが Armando Manzanero の "Somos Novios" という名曲、 世界的に大ヒットし、多くのカヴァーがあります。 「わたしたちはカップル」という意味のタイトルですが、 まさに男女の恋愛的な親密さを歌っているのですね。

あるいは "Bésame Mucho" は、 Los Panchos のギターサウンドでお馴染みですが、 もともとはメキシコの Consuelo Velázquez が1932年に作曲した曲です。 タイトルは「もっとキスして」と艶っぽいのですが、 これを作曲したときの彼女はまだ16歳だったというから驚きです。 Nat King Cole や The Beatles など錚々たるミュージシャンが カヴァーしているラテン音楽のマスタピースです。

Los Panchos
from wikimedia.org

ボレーロはスローなギター音楽のため、 リズムで盛り上がるということはありません。 むしろ、抑揚を作るのは歌手が歌い上げるメロディなのでした。 前奏から歌が入る瞬間とサビの盛り上がりくらいしか大きなドライヴはありません。 楽器編成もマンボビッグバンドと比較すればごく素朴。 ギターないしトレスと歌は必須ですがあとはマラカがリズムをキープするくらい。 リッチなアレンジならストリングスが入ったり打楽器が増えたりすることもありますが、 むしろセグンド・ギターとコロ、ボンゴくらいの方が普通です。 原則的にホーンセクションがいないという点も確認しておきましょう。 マンボで上げるのではなく、抑制を利かせダウナで感情を揺さぶる音楽です。

チークダンスは古いダンス

さて、ダンスとしてのボレーロはフレームを組んでベーシックを踏むだけ。 ターンパタンも決まったステップもなにもしません。 こうしたチークダンスはボールルーム以前から存在する古い方法で、 ワルツも本来的にはチークダンスの系譜でした。

ボレーロの場合、音楽的な特徴がそのままダンスにも反映しているともいえます。 メロディは情感たっぷりですがリズムは抑制されているのでダンサも大きく動くというよりは、 外側の動きを抑え、内部の動きを味わうダンスになるでしょう。 外が派手に動くときは内を静かに保ち、 内側が大きく動くときには外側の動きを小さくするというのは上手く踊るコツです。 動に静あり、静に動あり、ですね。

まさにベーシックのみを純粋に追求する踊り方で、 ターンパタンでもステップワークでもないというのは、 つまりボレーロに即興性はほとんどないということ。 表現にも振れないしスポーツ的な要素もありません。 手組みもなにも使いません。 リードとフォローの融合・一致を指向するダンスになります。 個の溶解、意識の退行、明鏡止水の境地ともいうべき精神状態に降りて、 ゆらゆら揺れる心地良さがこのタイプのダンスの味。 瞑想とか催眠に近い気持ちよさにふたりで一緒に至ろうとするパートナワークです。

とはいえ技術も必要で、ベーシックのリズムがぴったり合うこと、 フルコンタクトのコネクションが違和感なく噛み合わないと上手くいきません。 ここでもベーシックは肝腎です。 むしろ、サルサなどはターンパタンやステップでいろいろとごまかしが利く分、 ボレーロで噛み合わない方がお互いに不満の残るダンスになりやすいかもしれません。

ボレーロからバチャータへ

ライヴだとボレーロはいまでもそれなりに聴くチャンスがあるように思いますが、 DJ がスピンする普通のダンスフロアではなかなかボレーロが掛かることは珍しいですね。 ダンサもボレーロの踊り方には慣れておらず、 サルサを中心とするダンス・コミュニティではむしろマイナなサブジャンルかもしれません。 なぜ、ミュージシャンからこれほど重視されていたボレーロがフロアで消えているか、 という問いには様々な角度から答えることができそうですが、 ダンサ目線で素朴にいえば、ボレーロの代わりにバチャータがあるからだといえそうです。

サルサに対するコントロルとしてのスローバラードを考えるとき、 メレンゲとバチャータは古くからフロアでの重要な合いの手でした。 音楽としてもがらっと雰囲気を変えますし、 サルサ専門の人にとっては休憩タイム、 メレンゲやバチャータは初心者やラティーノの時間というイメジもかつてはありました。 ただ、ステップのテンポで比べればサルサより遅くとも、 メレンゲは音楽的にはかなり情報量が多くで、 クラーベ感もマンボもあるアッパ系の音楽なので、 フロアのダウナ系を担当するのは専らバチャータというのが サルサクラブの基本的な塩梅だったといえます。 音楽的にミニマルなバチャータだからこそ抑制効果もあるということですね。

ここで改めて確認しておけば、 バチャータとはキューバのボレーロが ドミニカ共和国の田舎で楽しまれていた雑多なギター音楽と習合したジャンルで、 その系譜からしてもほとんどボレーロなのでした。 バチャータがキューバの楽器であるボンゴを使うのは、 それがボレーロ由来だからなのでしたね。

一般にバチャータはギター2本とボンゴ、 グィラとベースでコアのグルーヴを作ります。 リードをとる方のギターはレキントと呼ばれるピッチが5度高い小型のギター。 このあたりもトレスの置き替えと見ればボレーロの編成そのものですね。 ちなみにグィラという鉄製の体鳴楽器は ドミニカンな楽器でマラカの役割が代替されていることが分かります。

トルヒーヨ時代にメレンゲが上流階級の音楽として政治的に引き上げられた結果、 ドミニカの庶民階級を代弁する民衆音楽として徐々に広がっていったバチャータ。 初期の頃の音源を聴くとかなり演奏はまずいものが多いです。 最初のバチャータ録音ともいわれるのは José Manuel Calderón の "Borracho de Amor" (1962) ですから商業的にはかなり新しい音楽ですね。 聴いてみると分かるのですが、これは6/8拍子です。 ここからも、ラテンアメリカ全域に広がる古いギター音楽の系譜の音楽であることと、 ダンスミュージックとは違うルーツであることが確認できます。 一応付け加えておくと Calderón 曲でも後の曲は4/4が多いですが、 まったくいまイメジするドミニカン・バチャータではなくほとんどボレーロです。 このように直接の祖先はボレーロですが、 メキシコのコリードスやグァヒーラやヒバーロの影響もあるといいます。 あるいは古いタイノに伝わる音楽の伝統も影響している、 という言い方もときどき聞きますがどの程度はっきりしたものかは分かりません。 80年代以降はメレンゲからの影響もとても大きい。

バチャータというジャンル名が定着する過程は本によってかなり違う記述になっていて なかなか断定しにくいのですが、 これが「パーティ」という意味でずっと古くから使われていた言葉ではあったようです。 これはキューバ由来であるというのが有力な説ですが疑義を唱える人もいます。 もともとは田舎でローカルに楽しまれたパーティだったとされますが、 トルヒーヨ政権が終わってようやく少しずつ都会に広まり始めます。 これは貧困によって都市へと労働人口が雪崩れ込む時期と符合し、 バチャータがアマルゲ(=苦味)という名前を獲得する頃のこと。 悪名高きガルフ・アンド・ウェスタン社によってドミニカの肥沃な土地が買い占められ、 輸出用の商品作物しか作れない契約になり、 喰いっぱぐれた地方の元農民たちが賃金労働者として都市に集まった時代でした。

バチャータが70年代までラジオやテレビで放送禁止だったのは、 上流階級の人にとってはこのジャンルが低俗さや卑猥さと結び付けられていたからです。 80年代以降のバチャータはより都会的な聴衆にも受け入れられるようになり、 失恋と苦味を歌うジャンルとして拡大していきます。 ちなみに、バチャータが歌う苦味とは、 金がない不自由とかヒモ生活の悲哀を嘆きつつも、 それでも男は女より偉いのだと強がらねば気がすまない マチスモの倒錯から分泌されるものでした。

一方で Sonia Silvestre から Juan Luis Guerra へと続く バチャータの中の異端的な系譜がこのジャンルを 世界音楽のステージに押し上げるというのは面白い巡り合わせでもあります。

ダンスとしてのバチャータはおおよそボレーロ以上のものではなかったようです。 60年代頃は完全なフルコンタクトのクローズド・フレームで踊り、 オープンポジションに離れることはありませんでした。 ベーシックステップはボールルームでいうところの「ボックス・ルンバ」、 四角を踏むように移動したといいます。 つまり、いわゆるドミニカン・バチャータと呼ばれる シンコペーションを多用した派手なフットワークというのは もっとずっと後になって登場したということのようです。

90年代以降のバチャータは Juan Luis Guerra の "Bachata Rosa" (1992) をきっかけに世界中に広まった結果、 キスケージャの外でよりトランスカルチュアルなスタイルが登場、 ベーシックはサイド・トゥ・サイドが主流になり、 4と8のタップが腸骨を持ち上げるヒップチェックになります。 現在ではこのヒップの動きが最もバチャータっぽさのある動きともいえますね。

その後はタンゴやサルサやブラジリアン・ズークなど 様々な他ジャンルのダンスのエッセンスと習合、 無数のスタイルが生じています。

コントロル指向のジャンル

さて、ここで注目しておきたいのはボレーロであれバチャータであれ、 コントロルを指向し、身体運動の比重を落として、内的な陶酔を求める態度です。 ターンパタンに依存するのでもなく、 即興的な創造性を目指すのでもない、別の価値を設定しているということ。

自律的で昂進させ合う2者関係かあるいはお互いに一致しようとする関係かというスペクトル、 すなわちサルサかコントロルかという軸もまた、 ダンスジャンルを評価する物差しになるといえないでしょうか。 このとき、 ボレーロあるいはバチャータはその原型的な方向性に特化したスタイルといえそうです。

明日に続きます!

posted at: 2024-12-13 (Fri) 12:00 +0900