踏めるか踏めないか
初心の必修課題は体重移動の感覚を掴んで キューバンモーションで動けるようになること。 この意味のベーシックには踏めるか踏めないかの2種類の状態しかありません。 踏めない人の動きは不自然でぎこちなく見えますし、 踏める人は上半身と下半身が正しく連動して動いているように見える。 あらゆるダンサは2種類に分かれます。
これは自転車に乗れるようになるということに似ていて、 補助輪や介助なしでひとりで自転車に乗れるようになるというのは、 乗れなかった頃とは全く違う状態なんですね。 もちろん自転車操縦技術にはいろんな方向でそれぞれの段階があるでしょうが、 自転車に乗れないという段階にある人はまず乗れるようにならねば始まりません。
曲藝的な運転ができるようになるとか、競輪やロードバイクの選手になるというのは 確かに単に自転車に乗れるだけの段階からすると相当に遠いゴールで、 それなりのトレーニングを要するのでしょうが、 それでも自転車に乗れない人からすればまずは乗れるようになるのが最初の1歩です。
ベーシックステップも同様で、極めようと思えば道は長いのですが、 何よりもまずキューバンモーションを身に付けなければスタートラインに立てない。 この観点で、ベーシックは踏めるか踏めないかの2種類の状態しかない、といっています。 一度この感覚を掴むと、自転車に乗る感覚と同様、おおよそ一生忘れることはありません。 ですから、初心の段階でこれだけはサッとクリアして欲しいと思います。 どんなスタイルでも不自然なベーシックが評価されることはありません。 レッスンを否定するヴァナキュラスタイルの人でさえも ステップが綺麗に踏めることを否定はしません。
面白いのは一度ベーシックが踏めるようになってしまうと 踏めなかったときの身体感覚を思い出すことは二度とできなくなる、ということ。 自転車に一度乗れるようになってそれに慣れてしまったら、 もはや補助輪付きの自転車は怖くて乗れなくなりますね。 それまでずっと補助輪付きに乗っていたというのに不思議です。
ベーシックも同様、 一度踏めるようになった人は踏めなかった頃のことを思い出すことが不可能になり、 できる人はできない人を理解できなくなってしまいます。 「なんでこんなに簡単なことができないの」と怒っている人も、 自分がベーシックを踏めなかった頃はウンウン唸って苦労していたのでした。
筋のいい人はデイワンからもう踏めている人もいるし、 なんとなくいつの間にかできるようになっていたと証言する人もいるのですが、 多くのぶきっちょさんにとってそれはある日ある瞬間はっきりとやってきます。 ベーシックが踏めるようになったと狂喜するアハ体験は一生に一度。 じっくり大事に味わいましょう。
ベーシックのクオリティ
さて、このような事情ですから、 ベーシックだけはまず踏めるようになってもらわねば困るということなのですが、 当然そこから先の段階というのもあります。 踏める感覚を覚えたての人は一般に手足がバタつくことが多く、 まずはそれを意識してコントロールすることを覚えねばなりません。 その上で「ステップが深い」とか「ガシガシ踏める」とか「もっと床を使える」 などと表現される状態を目指して、 キューバンモーションを深めていく段階があります。
ここでは、いかに力が抜けるか、いかに安定性がよいかという質の次元と、 どんなスタイリングを持つかといった感性の次元があります。
力が抜けることには様々な程度があり、 ごく初等段階でベーシックを踏めるようになったとしても、 例えば胸回りにはまだ力が入っており、自然な連動が弱いとか、 肩や首回りまでは連動が行き届いていないので固まって見えるとか細かい段階があります。 足に力が入るケースもよく見られ、 とりわけフォローでヒールを履く人は床を趾で握ってしまい、 ハムストリングや腕に力が入ってしまうということがあります。 相当に抜けるようになったと思っても身体の隅々まで点検してみると 無駄な力が入っている場所はたくさんあるので内観力も鍛えていく必要があります。
ベーシックが安定するというのは簡単にいえば動的なバランス感覚が向上するということ。 ステップでは軸足から次の足に体重を移すときに、 自分の意図したタイミングまでしっかり待てることがとても大切です。 通常の歩行ではタイミングを逸しても問題になりませんので、 そのまま前進すればいいのですが、 ダンスでは音楽とパートナに合わせる必要があり、 微妙にステップのタイミングをコントロールする技量が重要です。 上手く重心の位置や上体の慣性を制御できないと、 バランスを崩すので意図しないタイミングで足を付いてしまいます。 これがいわゆるステップが早いということ。 リズム音痴であるという可能性もあるのですが、 それ以前に拍ごとに体重移動しながらそのオンビートで踏み続けるには、 動きの中で自分の重心がどこにあるかを感覚し、 それをコントロールし続けられることが大事です。
例えばソーシャルの現場で踊っているフォローはほとんどステップが早いとよくいいますが、 これも今の理屈で説明できます。 バランスがよければ自分のタイミングで踏めるのだからオンビートで踏むし、 バランスが崩れれば意図しているタイミングより早く踏んでしまう。 結果的に1曲の間に早いステップはあれども遅いステップというのはほとんど発生しないので、 全体としては走っているという印象になります。 音楽のリズムを参照してタイミングを修正するということは 1カウント単位ではなく8カウント単位くらいで大まかに行われます。
ここでもフォローの基礎技術として、常に重心の位置をコントロールできている、 というのが大切なんですね。
力が抜けることとバランスをとれることは相互に関連してもいます。 バランスを崩して足を付くときはどうしても力が入ります。 安定しているダンサは力を入れる必要がありません。 また、力が入っていればいるほど身体各部のモーメントや重さを感じにくいので、 動的なバランスを調整する能力が身に付きにくい。 脱力とバランスは表裏一体であるということなんですね。
ベーシックを掴むのは初心の課題ですが、 そのクオリティを上げていくのは中級・上級にいたるまで継続する課題です。
解剖学が邪魔をする
身体を固めて動かそうとするのが駄目なのは分かったが、 力を抜くととふにゃふにゃになってまったく姿勢も維持できないことを嘆く人がいます。 身体感覚は言葉によって喚起できる部分もありますが、 言葉によって混乱させられるケースも多いので言葉尻だけにこだわるとこうして ヘンテコリンなことになってしまうのでした。 とくに連動の仕組みを説明するときに、どこどこの骨はこっちに動いて、 これこれの筋肉を収縮させて、あっちを弛緩させて、 などと考える人はまず綺麗に動けません。 確かに原理的には身体運動は随意筋のコントロールであり、 骨格上の位置関係の変化が目的なのですが、 その総体は極めて複雑な協調運動なのですべてを意識することは不可能です。
立つ、歩く、箸を持つといったごく単純と思っている運動でも、 全身のあらゆる器官が総動員されて作られる複雑な運動なのです。 立つときには「立とう」と思うだけで立てますし、 日常生活ではほとんどその意識さえありません。 どこをどう動かしたら胡座の姿勢から左足裏を床に 付けられるかなどと考える暇もなく立っています。 内股の筋肉を少し収縮させつつ次の瞬間に腸腰筋を収縮させて膝関節の位置を持ち上げ、 などと考えていたら立つ前に日が暮れてしまいますね。
オーケストラの指揮者がチューバ奏者の指を直接握って 運指を助けてあげようとするみたいなもので、 それではチューバも演奏できないですし、 その間他の奏者はほったらかしでアンサンブルになりません。
身体の各部位はイメジさえしっかりすればきちんと オーケストレーションして協調的に動いてくれますから、 大事なのははっきりしたイメジを持つことです。 意識によるマイクロマネージメントは上手くいきません。 そしてこのイメジの質が運動の質に直結します。
ここで厄介なのはイメジがあるから動きが作れるのか、 動きの中からイメジができてくるのかという問題。 鶏と卵みたいなものでどちらも正しく感じられるしどっちも間違っているように思える。 新しい動きを覚えるときにはイメジが湧きにくいというのが大きな問題で、 動きのイメジさえ掴めればあとは練習を続ければ習得できます。
ベーシックの動きもイメジが湧かない人はそんな動きがあること自体理解できない。 そこでイメジを作っていくことが大事なのですが、 このとき解剖学的な説明が邪魔になることがあります。 例えばよくダンスレッスンで耳にする「脚は肩胛骨から生えていると思って踏みましょう」 という言い方。 もちろん解剖学的には間違いですが、 このように意識するだけでぐっと上体と下半身の連動が作りやすくなるんですね。

イメジを持つのは一瞬ですがそれだけで全くダンスのクオリティが変わることがあります。 筋トレとか股割りのような身体を作っていく トレーニングは一朝一夕ではどうにもなりませんが、 イメジを掴むのは一瞬、その前後でまったく別人のダンサになることもあります。
例えば、身体は皮膚という皮袋の中にゲル状の液体が詰まった水風船であると感じて ステップを踏んでみると、 骨や筋肉や内蔵がその中にプカプカ浮いてるお鍋の具みたいなものに感じられ、 全身に足裏からの振動が伝達していくイメジを掴める場合があります。 また、両腕が巨大なソーセージになったつもりで腕を下げておくと、 ベーシックの連動が肩あたりにどう伝わっているかを体感しやすくなる。 あるいは、両手両足がないダルマ落とし人形の気持ちで骨盤と胸郭だけで踊ろうとしてみると 自然と体幹のアラインメントの感覚が腑に落ちる、などなど。
もちろんどのイメジがワークするかは個人差があります。 言語感覚や身体感覚は人それぞれですし、 それらを繋ぐ身体感覚言語も人によって受け取り方はさまざま。 ダンスをはじめとする身体トレーニングは 自分の言葉やイメジを耕すトレーニングでもあります。
明日に続きます!