ジャンル別ベーシック
それぞれのダンス・ジャンルを特徴づけ、区別するのはまずベーシックの違いです。 メレンゲのベーシックはサルサのそれとは異なり、 バチャータのそれとも異なります。 一般にパートナダンサにとって新しいジャンルを 身に付けようと思ったらそのベーシックを学ぶところがスタートになります。
ラテンクラブダンスではどのベーシックもすべてキューバンモーションがベース。 メレンゲであれ、バチャータであれ、サルサであれ、チャチャであれ、パチャンガであれ、 上半身と下半身の連動で動くというこのコンセプトが変わることはありません。 それゆえに何よりもまずキューバンモーションの体得が入門時の課題なのでしたね。 その上でベーシックの違いを作るのはステップの足型とタイミング、 それと連動の起点です。
ラテンクラブダンスの中でメレンゲのベーシックが 一番入門として易しいということを繰り返していますが、 それは交互に真っ直ぐその場で踏むだけでよいからです。 交互のステップというのは8カウントで8回ステップを踏むということ。 その場で踏むというのは基本的な足型中に重心が前後左右に移動しないということですね。
サルサが難しいのは8カウントで6回ステップするために、 ステップを長短組み合わせなければならない点です。 ボールルーム風にいえばクイック・クイック・スローと踏むのがスロットスタイルですが、 理念的にクイックが1拍分なのに対してスローの部分は2拍分の長さを持ちます。 体重移動には持続時間がありますから、 スローステップが挟まれることでそのタイミングをコントロールすることだけでなく、 バランスをとる部分でもぐっと難度が上がります。
実際、スロットスタイルのサルサが難しいとされる原因は遡及していけば ほとんどこのスローステップの存在に帰着します。 同時にここがスロットスタイルのサルサらしさでもあるので、 初中級以上の課題として、スローを丁寧に踏めるようになることが重要です。 とりわけフォローにとってはこのスローステップのクオリティが フォロー力そのものの上限になってしまいますので避けては通れません。 スロットスタイルがレッスン指向であるということの謂でもあります。
さらにいえば、ソーシャルの現場ではリードのみならずフォローも 1対1対2で綺麗に踏み続けるということはまずなく、 ステップごとに長さが伸び縮みしています。 ここにベーシックの個性や感じ方の違いも出てきて面白いのですが、 その場で即興的にお互いが仕合せてチューニングしなければなりません。 ここからいわゆる相性のよしあしが生じますが、 ソーシャル叩き上げというタイプのダンサはこの対応レンジが広い傾向にあります。
メレンゲにはこの厄介なスローステップが最初からありませんし、 キューバンやドミニカン・バチャータでは4拍目や8拍目はタップします。 ステップ・ステップ・ステップ・タップと4拍踏むんですね。 ここで、タップとは100%の体重移動を伴うステップと違い、わずかしか体重を乗せない動き。 床に置くだけという感じなので軸足の交代がないのがタップです。
アーバンスタイルのバチャータではヒップチェックという、 タップではあるが若干床を圧して腸骨を上げる動き、 あるいは人によっては足を浮かせたまま腸骨を引き上げるという独特の動きを入れます。 初心者は単純なタップで代用することも多いです。 いずれにしても軸足は移動しません。
そしてステップのデフォルトの方向性の問題。 サルサのベーシックが一層難しいのは前後方向に移動すること。 横ステップのバチャータの方が易しいのは後ろ向きに移動することが原則ないからです。 前後の移動では、その場や左右の場合と比べてどうしてもバランスをとることが難しい。 バックステップで後ろに乗り切ってしまったり、 フォワードステップで頭から突っ込んでしまうのはレッスンでもよく見る光景ですが、 どの方向に踏み出しても安定して動的なバランスを維持できる感覚を身に付けるのは、 少し時間が掛かると思います。
キューバンモーションの起点の意識という点でいえば、この感じが最も違うのはパチャンガ。 サルサやメレンゲが腰を起点に動いていく感じがあるとすれば、 パチャンガは腰と膝が一体となって極となるインタロックです。 ただ、どちらも前後打ちの感覚なので、それほどの違いは感じない人もいるようです。
ボレーロやバチャータではむしろ胸郭を起点として動くイメジもあります。 これは4と8のタップがヒップチェックになる感覚と関係していますが、 あまりステップ位置を横方向に移動せず、 胸郭の可動範囲の中で横の動きを作っていく方が実践的という人もいます。
このようにキューバンモーションを基礎としつつ、 各ジャンルごとに特定の技術も合わせて学ばないと上手くいかないのが ベーシックステップです。 それぞれのダンスごとのフィールを身に付けた後は、 自分なりのベーシックを作っていくこともできます。
踊りやすいベーシックとは
ところで、ひとりで練習しているときはそれなりに上手に キューバンモーションのあるベーシックステップが踏めるようになってきた初心者の人に、 パートナと組んで片手を繋いだ状態でふたりでステップをしてもらうと、 途端にぐだぐだになってしまいます。 あちこちに力が入り、肩も上がって連動もなくなり、リズムまで乱れてしまうのです。 そうかと思うと上級者と組んでもらったらぐっとベーシックが安定することもある。
パートナダンスはふたりで踊るので両者の間にコネクションがある場合、 よくも悪くも相手の影響を受けるもの。 できれば自分が相手を緊張させたり、ぎこちなくさせたりしないようにしたいものです。
なぜ片手を繋いだだけでベーシックが踏みにくくなるのかといえば、 床を踏む力が身体の中を巡って垂直方向だけでなく三次元的な動きとなり、 水平方向の押し引きの力にも反映するからです。 キューバンモーションの結果としての腕の振り方が 相手にとってはブレーキになったり邪魔になったりすることがあるんですね。
また、ベーシックが踏みにくくなるなと感じる相手はだいたいステップ幅が大きい。 そしてステップを斜めに踏むことが多いのですね。 軸足にちゃんと乗っていれば次の足はどこへでも自由に出せますから、 踏みたい場所まで移動させてから真下に、 つまり鉛直下向きにステップすることができるはずなのですが、 タイミングが遅れそうとか、 勢いで踏んでしまう場合にはどうしても斜め向きに着地してしまいます。 必然的にバランスも崩しやすく、次のステップもタイミングや角度が悪くなってしまいます。 それが一緒に踊っている相手からすると踊りにくさになってしまうのですね。
これを解決するにはゆっくり柔らかく、 そして何より常に真下に踏む意識を持てばよいということになります。
垂直と水平のムイェロ
こうした身体の動かし方を考えるとき、 ガジュマルが歩くようにステップを踏むイメジが役立ちます。

ガジュマルはイチジクの仲間の常緑広葉樹、 亜熱帯から熱帯に生息するので、奄美や沖縄、台湾などでよく見かける大樹です。 その特徴はなんといっても空中の枝から髭のように垂れ下がる気根。 幹が分化したものですが、下へ下へという強い意志を持って大地を目指します。 大地に接した気根は幹化し、ガジュマルの樹を支える軸になっていくんですね。 大きなガジュマルだとどれが最初の幹だかよく分からないほどに たくさんの幹に支えられた巨大な樹木空間を作り、見る者を圧倒します。 このガジュマルの気根のように、優しく真っ直ぐ地面に降り、ゆっくり力強い幹になる。
これがベーシックの理想です。 ガジュマルの1歩が数年かかるのと比べると、 メレンゲのステップはもうちょっとテンポが速いですが、 イメジの上ではガジュマルのように優しくゆっくりベーシックを踏みたいと思います。 ちなみに、 伸ばした枝から気根を垂らしては新しい幹を作って水平方向に広がっていく様子を シマの人たちも「ガジュマルは歩く」と表現するんですよ。
ところで、台南は台湾の南西側の古い街で、 ここはかつて17世紀にオランダがゼーランディア城を建てて拠点とした場所。 日中ハーフの英雄、国姓爺こと鄭成功がこのオランダを破り、 台湾の近代史が始まった街としても知られています。 ゼーランディアとは「海と陸」という意味。 まさに海と陸の接する街でした。 その近くに安平樹屋という名勝がありますが、 ここのガジュマルはまさに理想的なベーシックの教科書といえる威容のガジュマルです。
このガジュマルにベーシックの教えを乞いながら、 安平の風にあたっていると、 海と陸を繋ぐ古い舟着きの技法にも ガジュマルベーシックと同じ柔らかいテクニックがあることを思い出します。
キューバンモーションで使う、 全身をばねにして鉛直方向の動きから作られる エネルギィを身体全体に行き渡らせるテクニックは、 キューバでは古くから「ムイェロ」と呼ばれているのでしたね。 このムイェロはもともと柔らかいことを表す概念と関係し、 直接には「ばね」という意味なので 普通は柔らかく膝と腰のばねを使ったステップと理解されるのですが、 実はもうひとつ、「波止場」という意味もあるのです。
波止場とは海と陸の境界にあって両者の橋渡しになる場所、埠頭のことです。 熟練した船乗りたちは波止場に接岸する際、 見事に柔らかく一切の振動もなくピタリと止めます。 風向き、強弱、離着岸するスペースなどを考慮し、 入江に入った時点でもうエンジンは切っているにも関わらず、 上手に舵を入れて舳先を横に向けながら、 身体的に計算された水の抵抗と惰性がここぞというタイミングで船を停止させます。 まさに水平方向のムイェロというべき熟練の業なのでした。
ダンスを踊るときにもこのような運動の仕方ならパートナにとって邪魔になりません。 垂直のムイェロの理想がガジュマルなら、水平のそれは舟着き巧者の船頭です。 ガジュマルや島渡りのフェリーのように、ゆっくり優しく、 丁寧なベーシックが踏めるようになりたいものです。
島々を渡っていくフェリーを着岸させまた出港させることをリードに喩えるなら、 リードは入念なブリーフィングによってフォローや音楽の状況を把握し、 港への入り方を準備しなければなりません。 それでも、必ずしも計画通りにいかないのが船旅、パートナダンスも同様です。 海もパートナも思い通りにはならないからです。
オモテ港(意図したステップ)が荒れていて入そうになければ、 ウラ港(プランBのちょっとずれたステップ)を使う選択も考慮する。 嵐が起こってあまりにもフォローが荒れていれば抜港することさえありえます。 抜港とはその島に入港することを諦め次の島に向かうこと。 仮に抜港したとしても船旅は最終地まで続くし、 コネクションが崩れたとしても音楽が終わるまでダンスは継続するのでした。 こうした構えもまた別の次元で「ベーシックの柔らかさ」といえるかもしれません。
明日は新しいテーマです!