Merengue Panic



Advent Calendar 2024 19日目の記事

パンドラとメレンゲを踊る (1)

サルサやメレンゲの充実感はくじ引きのようなもの。 どんな悦びが1曲のダンスから引き出されるのかを決めるのは自らの姿勢と偶然です。 毎回異なるダンスの満足度を予測する方程式は書きようがあるでしょうか。 誰といつ踊るべきか。何を何のために踊るべきか。そしてどう踊るべきか。 最高の1曲と遭遇する時の到来を占う拈華微笑の快楽論、 7回シリーズの1話目です!

技術と未来の起源

ギリシャ神話にあるプロメテウスとエピメテウスの物語は、 未来と技術が同じ起源を持つことを示しています。 さらにそれは智慧の起源でもあり、死の起源でもあり、 忘却の、そして希望の起源でもありました。

プロメテウスは人類に智慧と火をもたらした神として有名ですね。 その弟がエピメテウス、こちらはその存在自体がほとんど忘れられています。

プロメテイアとエピメテイアはふたつの知のありようをいう言葉。 「プロ」は「先に」、「メテイア」は「見ること」ですから先に見る、 つまりプロメテイアは先見とか予兆という意味。 一方で「エピ」とは「後で」ですからエピメテイアは後知恵ということ。 後で知ることなので「後悔」や「愚鈍」、「忘却」といったアイデアとも関係します。 このプロメテイアとエピメテイアがそれぞれこの兄弟の名前の由来なんですね。

ふたりの神話はいくつかのヴァージョンが伝えられていますが、 プロタゴラスの語る神話を辿ってみましょう。

昔々、世界には神々のみが存在し、死すべき命はありませんでした。 地上に種々の生物を生み出すときが来て、神々は火と土からこれを作ります。 そして、光のもとに彼らを誕生させようとしたとき、 神々はそれぞれの種に必要な能力を分配して授ける仕事を プロメテウスとエピメテウスの兄弟に託しました。 エピメテウスは兄に頼んでこの仕事を自分に任せて欲しいと申し出ます。 そして作業が終わったらプロメテウスに自分の仕事の出来栄えを見て欲しいとも頼みました。 兄プロメテウスはそれを快諾しました。

そうしてエピメテウスはあるものには強さを、別の種には速さを、 またあるものには武器を、あるものには別の能力を与えて回りました。 どの種もすぐに滅ばず、簡単に途絶えてしまわないようにするため、 様々な能力を分けて回りました。 ところがエピメテウスは愚かだったので、 獰猛な野獣たちに力を与えた一方で ヒトに能力を与える前にすべての力を使い果たしてしまったのです。

エピメテウスが困っているとプロメテウスが心配そうにやってきて、 ヒトが裸で弱く何の武器も持っていないことに気付きました。 しかし、もう約束の時は過ぎていたため、 プロメテウスはなんとかヒトを救おうと アテナとヘパイストスのところから智慧と火を盗んでヒトに与えてしまいます。 このプロメテウスからのギフトによってヒトは生き延びることができたんですね。 しかし、この罪のためにプロメテウスは永劫の責苦を受けることになりました、 とのことです。

さて、このヒトの誕生にはふたつの失敗が絡んでいます。 最初のエピメテウスの失敗、そしてそれを穴埋めするためにプロメテウスが犯した罪、 両者の偶然の結果なんですね。 ヒトの起源は他に何もなく、ただこの失敗しかありません。 ヒトが神々の失敗の産物であり、 意図しない状況から誕生したという認識は、 ヒトが他の動物と異なる特別な条件を生きていることを示しています。

さて、火を盗んだプロメテウスに怒ったゼウスは その罪でプロメテウスをカフカス山の頂上に磔にし、 恐ろしい怪鳥にそのはらわたを毎日喰わせ続けます。 死ぬことのない神であるプロメテウスは毎晩その身体が再生してしまうため、 来る日も来る日も喰われ続けることになりました。 エピメテウスが人間に能力を与え忘れたのは過失ですが、 プロメテウスが火を盗んだことは罪であるがゆえに裁かれねばならなかったのです。

磔にされる前、 先見の明あるプロメテウスは ゼウスがエピメテウスにも災いをもたらそうとすることを見抜いていました。 そこでエピメテウスに「ゼウスからの贈り物は一切受け取るな」と忠告していたのです。 案の定、ゼウスはヘパイストスに命じてパンドラという絶世の美女を作らせ、 これをエピメテウスに贈って妻にせよと命じます。 プロメテウスの言葉には「分かった」と応じたはずのエピメテウスですが、 彼は忘却の神でもあります。 すぐに兄の言葉を忘れてしまい、喜んでこの美しいパンドラを妻にしてしまいます。

Pandora and Epimetheus
from wikimedia.org

パンドラは神々から素晴らしい能力を授けられていました。 アテナからは機織りの能力を、アプロディーテからは男性を魅了する凄艶を、 ヘルメスからは犬も驚く狡猾さを受け取っていたパンドラは ほんとうに魅力的な女性でした。 そして、このパンドラはエピメテウスの元に遣わされるときに ひとつの甕あるいは箱を持たされていました。 これがいわゆる「パンドラの箱」ですね。 神々から決して開けてはならぬと禁じられた箱です。

見るなのタブーが破られるのは神話のお決まり、 エピメテウスとパンドラはとうとう好奇心に耐えられなくなり、 この箱を開けてしまいます。 すると中からあらゆる災厄、すなわち不幸、疫病、飢餓、老い、犯罪、不安、恐怖、 そして死がどっと溢れ出てきました。 最後に残った「エルピス」だけが飛び出ず、 驚いたパンドラとエピメテウスはこの箱を閉めてしまいます。 こうして人類の生きる世界には種々の不幸がばらまかれてしまったのだ、 といいます。

プロメテウスは火と智慧を人類にもたらしました。 火を使えるようになった人類は技術を獲得し、 智慧を得たことで未来を予測することができるようにもなりました。 エピメテウスのために生物学的な未熟児となった裸のヒトは、 服を着、煮炊きをし、住居を建てて夜露を凌ぎ、 農耕と牧畜を覚え、武器を取り、守りを固め、 都市を、思想を、近代を建設して、現在では月まで行けるほどの科学力も手にしました。 同時にプロメテウスの行いの結果として、 人類は病や老いや死とも付き合わねばならなくなりました。 未来を予測できる能力と確約された死は 人間の生き方に絶対的な虚無を与えることにもなります。

ちなみに、その罪のために毎日肝臓を啄ばまれているプロメテウスを尻目に、 エピメテウスのその後は幸福そのもので、 愛しいパンドラと仲睦まじく暮らしたそうです。 そして、現世の人類とはこのエピメテウスとパンドラの子孫たちなのでした。

エピメテウスのダンス

さて、この話のうち、比較的よく知られているのはプロメテウスとパンドラの部分。 大事な登場人物のはずなのですが、 エピメテウスのところはあまり人々に記憶されていません。 忘却の神は自身が忘れられている神でもあります。 忘れられていること自体が忘れられ、誰にも思い出されることがありません。

このプロメテウスとエピメテウスの物語を読めば、 プロメテウスはちゃんと災厄を予見して忠告してくれているのに、 エピメテウスが愚かゆえにこんな酷いことになったのだ、 エピメテウスはけしからん、という反応になりそうです。 しかも、結果としてプロメテウスは永遠の責苦に遭うのに対し ノホホンと楽しく暮らすエピメテウス。 寓話としても信賞必罰の精神に反したストーリィのように感じて 憤慨する人もあるかもしれません。

ところで、このプロメテウスとエピメテウス、 どちらがサルサダンサとして魅力的でしょうか。 もしフォローの立場だとしたら、どちらと踊りたいと思うでしょうか。

プロメテウスは先を読む神、秩序と調和を指向する神ですから、 ちゃんと音楽の展開も予想して、 美しいサルサを踊ることでしょう。 多彩な高難度のターンパタンを精緻な軌道とタイミングで延々と繰り出す。 針の穴を通すようなしっかり噛み合うサルサで踊る コングレススタイルの巧者のイメジですね。

一方のエピメテウスは忘却の神。 上手くいかなかったことを後から後悔する神であり、 きっと複雑なターンパタンはフロアで思い出せないに違いありません。 いわゆるダンスホール・アムニジア、ダンスホール健忘症という症状です。 レッスンで習ったターンパタンがフロアで思い出せなくなるというのは 多くのリードが経験したことがあると思います。 そういえば現世のリードは皆エピメテウスの子孫なのでした。

エピメテウスはまさにアムニジアの神なのですから、 当然複雑なターンパタンなんて無理で、 身体に染み込んでいることしかできません。 その代わり、相手の言うことをしっかり聴いて受け止める能力があります。 さらに、失敗しても成功しても、 それ自体をすぐに忘れてしまいますからまたすぐに新鮮な笑顔で踊り続けます。

フォロワの多数派はプロメテウスとは踊るがエピメテウスは遠慮する、 という意見になりそうな気もしますが、 同時にどうもエピメテウスの方に魅力を感じる人もそれなりにいそうな気がしてきます。 どうしてでしょうか。

プロメテウスのリードに対応できるようになろうと思えば フォローも相当腕が立たねばなりません。 生真面目で難しい顔をしながら、 厳密なフォローを当然のように要求してくる超上級のリードです。 レッスンにたくさん通って堅実に基礎を積み上げ、 トップクラスのフォロー力を身に付けてはじめてこのリードにに挑むことができる、 プロメテウスにはそういう感じがあるんですね。

一方のエピメテウスは確かに派手なターンパタンなんかはなさそうだけど、 発散している空気が魅力的だし、 技術云々よりも一体感のあるダンスが踊れそう。 そんなイメジもあるでしょうか。

では、パンドラならどちらと踊りたがるか。 「パン」とはすべて、「ドーロン」とはギフトを意味します。 パンドラとはすべてを与える者。 もともと神々からすべてを与えられた者でもありました。 持っているものを全部人に与える気前のよいこの女性は、 ゆえにあらゆる不幸も与えますが、あらゆる快楽を与える能力もまた持ち合わせる存在です。 アテナから女性が持つべきすべての能力を授けられてもいるパンドラは、 当然ダンスの能力もピカイチ。 ギリシャ神話の時代にパートナダンスの能力があったかどうかはこの際措くとして、 当然、抜群のグッドフォローに違いありません。 ですからパンドラはプロメテウスと踊っても全く引けを取らないはずですね。 ふたりのダンスはまさに超絶技巧のぶつかり合い、 妙技と神業の応酬となるでしょう。 初見の人を圧倒する、刺戟的でスリリングなダンスですね。

一方、エピメテウスと踊るときの彼女はどうか。 これは別の意味で魅惑的な一体感と官能溢れる美しいダンスであろうと想像します。 エピメテウスはプロメテウスのような技術を持つ訳ではありませんが、 後知恵/後悔という与えられたものを受け止める能力の化身でもあるこの愚神には、 パンドラが与えようとするものを受け取る能力があります。 柔和なエピメテウスは自己を主張しませんから、 相手の与えるものを全面的に受け入れ、溶解し、一致することを指向してしか踊れません。 与えるには強さが必要ですが、与えられるには弱さが必要なのでした。 後悔の神であるエピメテウスにはこの魅力的な弱さが備わっています。 内側に集中する、瞑想のような踊りです。

ここにパートナダンスに臨むにあたってふたつの快楽の方向性、 それも真逆の方向性を見てとることができます。 秩序と調和を指向し、技術と熟練を目指すプロメテウス的ダンス。 一致と融合を指向し、自己を消失させより大きな個の中に融け合うエピメテウス的ダンス。 差し当たって、どちらがよい悪いということ以前に、 どちらの方向もありうるということをここでは確認しておきたいと思います。

そして人間が踊るダンスにはその両方のエッセンスが同居している。 そう、人類はエピメテウスの子孫であると同時にプロメテウスの子孫でもあるのでした。 この兄弟のふたつの「智慧」がそれぞれお互いの「智慧」をダブルアップするように、 プロメテウス的ダンスの魅力はエピメテウスの失敗によって 倍増されていることを確認しておきましょう。

しかし、獏たる不安、言葉にならない不可解がとりわけプロメテウス的ダンスにはあります。 それは賞味期限がいつまでなのかという問題です。 昂進性の刺戟を前提とする技術指向のダンスを踊り続けることは いつまでも楽めるものなのでしょうか。

プロメテウスのその後

カフカス山で磔にされ、毎日怪鳥に肝臓を喰われ続けるプロメテウス。 その後日譚にはいくつかのヴァージョンがあるとカフカはいいます。

第一の言い伝えでは、 怪鳥に肝臓を啄ばまれては再生し、今も永遠の苦しみを味わっているというもの。 第二の言い伝えでは苦痛に耐えかねたプロメテウスは磔になっている大岩に深く貼り付き、 いつしか岩と一体化してしまったというもの。 第三の言い伝えでは数千年の時が過ぎ、いつしかその罪は忘れられ、 神々のことも、怪鳥のことも忘れられ、プロメテウス自身も忘れられたというもの。 第四の言い伝えによれば、誰もがこんなことには飽き飽きしており、 神々も飽き、怪鳥も飽き、腹の傷口でさえ飽きてしまってふさがってしまったというもの。

謎に満ちた掌編『プロメテウス』の最後は以下のように閉じられています。

あとには不可解な岩がのこった。 言い伝えは不可解なものを解きあかそうとつとめるだろう。 だが、真理をおびて始まるものは、 しょせんは不可解なものとして終わらなくてはならないのだ。

(『カフカ短編集』、岩波文庫、池内紀編訳)

ちなみに、ヘラクレスによって3万年後に解き放たれたともいわれますが、 カフカはこの解放のエピソードには言及していません。

Bound Prometheus
from wikimedia.org

プロメテウスの結末のこの不穏な予言は、 プロメテウス自身の予言力の自家撞着のようにも見えます。

プロメテウスには不可解な結末が待っているが、 エピメテウスの場合は意外にそうでもないということを学ぶとき、 プロメテウス的ダンスもまた、 とどの詰まりこの大岩のような不可解さにぶつかってしまうのではないかと 予感させられます。 最もよくトレーニングされた明快で秩序だったダンスは、 ある程度の間楽しみが持続する。 それも相当にスリリングな楽しみです。 しかし、それは長くは続かずそのうちその生気を失ってしまう。 設定された目標が達成されるや否や次のさらに高い目標が設定されねばならず、 その繰り返しが限界に至ったとき、プロメテウスはどうなるのか。 繰り返す苦痛になるか、 消えて失くなるか、忘れられるか、飽きられるか。 いずれにしても不可解だけを残して色彩が消えていくこと自体が 予め予測されてしまうのでした。

プロメテウス自身がいつか忘れられてしまうというのは まさにプロメテウス的知によって確実に約束されていることです。 熱力学の法則によってあらゆるものが永続しないことははっきりしている。 誰かがサルサに飽きるということは、 その人が個的な死を迎えるということのパラフレーズでもあり、 それは人類にスケールを拡げてみても、 いつかはすべてが廃墟になるということでもあります。 クラーベもマンボも忘れられるときが来る。

プロメテウスの罪はエピメテウスの過失を庇うために生じたのであり、 パンドラの箱が開いてしまった結果ではありません。 むしろ、パンドラの箱こそ、兄弟のふたつの失敗の帰結としてあるのでした。

「パンドラの箱を開ける」という表現は 一般に開けてはいけないものを開けることの比喩として日常的に使われていますが、 これにはもうひとつ別の解釈があるといいます。 それは底に残ったエルピスのこと。 一度閉じてしまったこの災いの箱を もう一度開けてエルピスを取り出すことを指す使い方もあるのでした。 エルピスは「希望」と訳されることもありますが、 それは「絶望」だという人もいて、 具体的に何かはよく分かっていません。 箱から飛び出さなかった何か、 それを改めて取り出すことは人類にとって吉と出るのか凶と出るのか。

むしろ、この箱から災厄が飛び出したことさえ忘れてしまっているエピメテウスこそ、 この箱をもう一度開ける蛮勇を持った唯一の存在ともいえます。 すべてが飽きられ、忘れられ、廃墟になり、 その廃墟の痕跡まで砂粒に還った頃に、 「エルピス」を抱えたエピメテウスにダンスフロアが発見されるのでしょうか。 智慧は遅れてやってきます。 ほんとうに踊れるようになるのはダンスに飽きてからなのかもしれません。

明日に続きます!

posted at: 2024-12-19 (Thu) 12:00 +0900