Merengue Panic



第11打 叡智への「鍵」

ラテン・ミュージシャンが最初に学ぶべき最重要コンセプト、クラーベ。 一方で、ダンサたちにとっては分かりづらい上にどこか敬遠される 「タブー」の感さえあります。 音楽の参加者全員を共振させる「鍵」であるはずのクラーベが、 まるで分断の象徴のようになっているのはなぜか? あえてこの可燃性の高い、論争的なトピックを巡って ダンサと音楽の関係を考えてみます。

ダンサに音楽は難しい?

メレンゲに限らず、アフロ=カリビアン音楽では、 「クラーベ」というコンセプトが最も重要だとされています。 ラテン音楽を学ぶ人達の間でもクラーベを巡っては、 「クラーベって何種類あるの?」 「クラーベの向きって何?」 「クラーベの破格とは?」 といった初心者お決まりの質問から、 「クラーベのフラクタル構造って本当?」 「クラーベとアラブ音楽のリズムモードの関係は?」 「ペンタトニックスケールとクラーベの相似とは?」 「2 対 3 の比とクラーベの数学的象徴論について」 などの、ややこしい周辺的トピックまで話題に事欠きません。 もちろん、もっと実践的な段階でも、 クラーベの聞き取り練習やポリリズムの演奏練習には非常に多くの努力が必要で、 初級レヴェルをマスタするだけでさえ大変な困難と奥深さがあることも、 クラーベの神秘性・聖性を強めています。

このため、これらの問いに対する回答には多くのヴァリエーションがあって、 誰がどんな文脈で問うか、誰が誰に応えるかで変化します。

例えばある世界的に有名なレジェンド級のサルサ・ミュージシャンは、 ダンサ向けの音楽講座でこういったそうです。

「ダンサはただ楽しく踊っていればいいんです。 音楽のことなんて分からなくても充分楽しめるでしょう。」

この手の回答、というよりもほとんど回答拒否ですが、 はダンサが音楽家にクラーベについて質問をするとき、 しばしばみられる反応です。 彼の主張を荒々しく要約すれば、 「音楽はフクザツで難しいからダンサには理解できないよ。」 ということなのでしょう。

また、ミュージシャンのみならず、 ダンス・インストラクタも音楽のトピックを教える人は少数派です。 楽曲のカウントがとれさえすればダンサがクラーベや音楽の妙を理解する必要はない、 というのが平均的なインストラクタの意見のようです。 言い方はもっと穏当なケースが多いですけれどね。

これには大きくふたつの理由があるようで、 ひとつはダンサが音楽について説明することは 越権行為であるという気分があるため。 もうひとつは、 音楽のことが詳しく分かったからといって それをダンスに反映できるようになるのはとても難しいので とりわけ初級者には必要ない、という考え方のようです。

まず、ミュージシャンにとってもかなり難しいラテン音楽のコンセプトを、 音楽の門外漢が解説するのは分を越えているという意識です。 つまり、ミュージシャンもダンサも音楽やリズムの理論的な話はとても難しいと考えていて、 実際、確かにそれはハードルが高いため、 この最重要コンセプトについて伝え合ったり話し合ったりという気分にはならないわけです。 ラテンの音楽家が3人集まればすぐに、 やれクラーベがどうとか、 この曲のポリリズムの感じ方がどうとか、 6/8 とカタの噛み合わせがどうとか、 そうした話題に花が咲くものですが、 ここにダンサが加わると「今日は天気がいいですね」 くらいの会話しかできなくなるというようなことが起こります。 逆にダンサの集まりでは、 誰々のターンパタンが格好いいとか、 コネクション云々とか、 どのパフォーマンスがよかった、 のような話題で、 これまた音楽家にはチンプンカンプンのラインナップになります。 お互いに共通の言語や話題がないんですね。

もうひとつは、 それなりにしっかりしたトレーニングを積めば ある程度リズムを感じることはできるようになるとはいっても、 その道程は非常に長く、 しかもそれを踊りの表現に翻訳できるようになるというのはさらにずっと困難である、 ということがあります。 楽曲のダイナミクスを感じて動きに変化を加えるくらいのことなら 音楽を知らずとも自然にできますが、 実際に身体をポリリズミックに使うとか、 クラーベの動きを身体に翻訳するというのは、 アフロ=キューバンのソロダンスのような超絶技巧を念頭に置いても、 一般人にはほとんど到達不可能な地点にあるように見えます。 しかも、パートナダンスでそうした音楽的な表現をするというのはさらに難度が高いために、 端的にいえば、 ダンス表現の向上にとっては音楽の勉強なんてやっても無駄だという感覚があるわけです。 そんなことよりも 「ノリ」で楽しく抑揚をつける方がずっといいとさえいわれてしまうかもしれません。

このような状況があるために、 音楽クラウドとダンス・コミュニティの間には小さくない分断が生じています。 音楽派はパートナダンスを踊っているような人々をどこか低く見ているし、 ダンサは音楽派を小難しくてややこしい集団として無視しているように感じられます。 結果的に、なかなか共に同じ文化を楽しむという場を作ることが難しくなっています。 例えばスウィングのコミュニティではいまでも両者の距離が近く、 生バンドでのダンスを一緒に日常的に楽しんでいるような状況と比較すると、 寂しい限りといえます。

音楽とダンスは双生児

ところで、ラテン音楽は多くの楽器が同時にそれぞれ異なるリズムを演奏しますが、 この複数の楽器のリズムが複雑に絡みあってひとつのグルーヴを作っています。 別々のリズムが共存するのに全体として音楽が破綻しないのは、 各楽器はクラーベに「フィットする」ようなフレーズを演奏しているからなんです。 実際に音として鳴っているかどうかに関わらず、 指揮者のようにアンサンブル全体を調和させる「コンセプト」がクラーベというわけですね。 それにも関わらず、 ダンサだけは各楽器の演奏者とは無関係にクラーベを意識せずに踊っていい、 というのはあまりにも乱暴な議論に聴こえます。

というのも本来、音楽とダンスは双生児であり、同一のものだったからです。

African bell
African bell from wikimedia.org

もっといえば、太鼓を叩くこと、歌うこと、踊ることは三位一体である、 というのが西アフリカ起源の参加型音楽の基本的なアイデアです。 西洋音楽や現代の多く大衆音楽で行われるような、 演奏者と聴衆が舞台と客席に分かれて消費するような形態ではなく、 アフリカの音楽は、聴衆と演奏者が連続的で、 全員参加で楽しむという音楽=ダンスのスタイルでした。 ここでは音楽とダンスの間に厳密な区別はなく、 楽器の演奏は手指のダンスであり、ダンスは身体の視覚的な演奏であり、 歌は感情表現のすべてを意味するものであったということになります。 すなわち、手のリズム(太鼓)と息のリズム(歌)と足のリズム(ダンス) が統合し、音楽=ダンスの全五官的リズムを作ったのでした。

また、全員参加型の音楽において音楽とダンスの区別が曖昧であるというのは、 その「コール・アンド・レスポンス」にも見ることができます。 メレンゲでもそうですが、リードのカンテが即興で歌っているときに、 コロ(コーラス)の人が決まったフレーズで応答する、 ということを繰り返して楽曲が盛り上がっていきます。 また、ホーンセクションの掛け合いである「マンボ」はメレンゲの最大の見せ場でもあります。 ルンバ・コルンビアのようにキント(太鼓)とダンサの間の掛け合いもありますよね。 このようにして複数人で共振・共鳴できる感覚こそが この音楽=ダンスの最大の醍醐味なんだろうと思います。

リスニング練習のススメ

このように、本来の音楽とダンスが一体であった文化に連なっていたはずなのに、 現在のラテンダンス産業では両者がまったく分断されている事実を認識するとき、 パートナダンスの初心者はどのような態度で音楽と向き合えばいいでしょうか。

本サイトでは初心ダンサはまず、 リードやフォローの基礎練習に集中し、 その上で、ダンスの練習とは別に、 よい音でよい音源を楽しむリスニングタイムを持つことをオススメしています。

ここまでの議論を踏まえて、 このリスニング練習をするのはまずはダンスに生かすためと考えるよりも、 純粋に音楽を楽しめるようになるトレーニングだと考えるといいと思います。 ダンス抜きでもメレンゲが楽しめるようになれば、 踊りながらも音楽が楽しいと感じられるので、 単にパートナとのコネクションを楽しむだけでなく ミュージカリティも楽しめるようになるかもしれません。

音楽を聴くときは椅子に坐ってもいいですし、 立って揺れながら聴きたければそうしても構いません。 ただ、音楽を聴きながら決まったステップを踏もうと思ったり、 ダンスの練習をしながら聴くというのは別のトレーニングとしては大事ですが、 ここでのリスニング練習とは別モノです。 いくらメレンゲが簡単なステップだとはいっても、 ダンスは複雑な身体の並行統御なので、 ダンスしつつ音楽も聴く、というのはビギナにはとても難しいからです。

練習方法はごく簡単。 小難しい理屈や専門用語はひとまず措いて、 選り抜きの100曲をそれぞれ100万回ずつ注意深く繰り返し聴くだけです。 そうすればクラーベのフィールが嫌でも身体に刻み込まれることでしょう。 アタマで理解するのではなく身体で覚えるということですね。

クラーベは人類が「文化的に」到達した究極の叡智のひとつであり、 至高のリズムですから、学習しなければ決して身に付きません。 逆に一度ラテン音楽からクラーベを聴き取る「分凝」能力を身に付けてしまった人は、 間違って反対向きに叩かれたクラーベなんかを耳にすると 曇りガラスに爪を立てられるような不快感に苦しむことにもなってしまうのですが。 ちなみに「分凝」とは同時に鳴っている音を分けて個々に理解した上で、 それを再統合して全体として聴く聴覚認知上のプロセスで、 鍛錬することで研ぎ澄まされていく能力のことです。

特定の楽曲をまるっと覚えてしまうことで、 パートナとのコネクションと音楽そのものを同時に楽しめるようになってくれば、 自分の中でダンスと音楽が繋がってくる感覚が形成されてきます。 覚えている曲なら耳が自動的に「分凝」してくれますからね。 こうなってくると、 外形的にははっきりとは変化しなくても踊りの質がどこかで変わっていくかもしれません。 きっとコネクションだけ、音楽だけを楽しむよりも味わい深くなります。 まずはリラックスして静かに音楽に耳をそばだてながら、 クラーベと各楽器のアラインメントを感じる、 という練習を少ししてみるだけでも音楽の聴こえ方はずいぶんと変わってくるものですよ。

少なくとも、音楽とダンスの間に不毛な溝を見出して対立するのではなく、 自由にそれを跳び越えていくフットワークの軽さを身に付けることの方が ずっと楽しいのではないでしょうか。

まずはダンスの役に立つかどうかという関心ではなく、 音楽家への感謝と敬意から彼らの大事にしているクラーベのコンセプトを学んでみよう、 という気持ちを持つとよいかもしれません。 あるいはクラーベという謎めいた人類の叡智に触れてみたいという 好奇心から接近するというのもいいですね。 いずれにしれも、耳のトレーニングは長い時間がかかることなので、 初心ダンサの段階からすぐに始めるとよいと思いますよ。

posted at: 2021-08-26 (Thu) 20:00 +0900