Merengue Panic



第1歌 生きることはカーニヴァル

楽曲・映画・書物などをひとつ取り上げ、 自由に議論する集まり「クラーベ座談会」。 今回のテーマは泣く子も黙るソン・サルサの女王 Celia Cruz の代表曲 "La Vida Es Un Carnaval" です。

この座談会は、 クラーベという人類の叡智にしてアフロラテン音楽のエニグマに関心がある人が集まって、 楽曲や映画、書物などを取り上げて自由に議論する場です。 今回はAlice さんがご自身の人生のテーマソングだと仰る "La Vida Es Un Carnaval" についての議論を持ってきてくれました。

今回のトークの参加者はプレゼンタのAlice さんに加えて、 Bob さんCarol さんの3名です。

人生のテーマソング

(A) みなさんこんにちは、今日はわたしの担当ということで、 どうぞよろしくお願いします。 テーマはズバリ "La Vida Es Un Carnaval" を取り上げたいと思います。

Carnaval Dominicano
Carnaval in Dominica from wikimedia.org

(B)(C) おお!

(A) みんな大好きですね(笑)。さっそく楽曲の基本情報を整理しますね。

1998年に発表された "La Vida Es Un Carnaval" は Celia Cruz の代表曲で、 たくさんのミュージシャンにカヴァーされているのでみなさんご存知だと思います。 アルバム "Mi Vida Es Cantar" の最終トラックとして収録されました。

曲は Víctor Roberto Daniel というアルゼンチン出身の作曲家の作だそう。 アレンジはプエルトリコ出身の有名プロデューサ・ピアニストの Isidro Infante です。

本当に素晴らしい曲でわたしはこの曲を自分の人生のテーマソングだと思っているんですよ。

(C) 意外と新しい曲なんですね。 それにしても、人生にテーマソングがあるというのは素敵です。 この曲のどういうところが好きなんですか?

(A) 音楽もアレンジも素敵なんです。 そして何よりその歌詞が本当に琴線に触れるんですよ。

(B) ホーンの裏メロ、格好いいよねー。

(A) そう!歌よりもホーンを口ずさむこともありますよね(笑)。 音楽クラウドの中では大人気なんだけど、 パートナダンサたちからはテンポやアレンジがちょっと踊りにくいという意見もあって、 ラインスタイルの人が多いパーティではあまり掛かりにくいのが残念です。

(C) ちょっと基本的なことを確認したいんですが、 Celia Cruz はキューバ人だけど合州国で活躍した人なんですよね。

(A) そうですね、 もともとはハバナ出身の歌手ですが、 キューバ革命の後は故郷に帰らなかった人ですね。 50年代はハバナのバンド Sonora Matancera で活躍しました。 70年代にニューヨークの Fania に合流して たちまち世界的なサルサブームの火付け役になっていきました。 いまでも「サルサの女王」とか「ソンの女王」とか「ラテン音楽の女王」といえば、 まず Celia Cruz のことを指しますよね。 こうした経歴を考えると Celia の底抜けに明るい歌声にも痛みや悲しみが込められていると感じます。 やっぱりラテン音楽は痛苦の歴史に引き裂かれている。

(C) ラテン音楽が育まれてきた歴史的な経緯を考える上ではとても大事なテーマですね。

(A) そうなんです、だから今日はこの曲の歌詞を中心に話し合ってみたいと思っています。 ただ、その前に少し音楽やダンスの観点を簡単に抑えておきましょうか。

(B) この曲はキューバンサルサのスタンダードって言われてるけど、 レゲトンとかメレンゲのテイストもありますよね。 テンポもビートのアクセントもちょっとクセがある。

(A) そうですね、さっきもちょっと触れましたけど、 ダンサの中には踊りにくいっていう人も多いこの曲ですが、 ラテンの人は結構メレンゲで踊っている人も多いんですよ。 サルサで踊っている人とメレンゲで踊る人が同じフロアで混ざったりしています。

(B) Nickey Jam とか Mikey Perfecto のレゲトンヴァージョンも有名だから、 独りで踊るならレゲトンでも行けるよね。

(A) カヴァーでいうと Victor Manuelle や India もサルサで歌っていますね。 どのヴァージョンもパートナと踊るならメレンゲで踊るのはオススメですよ。

(C) そういう風に自由に踊り方を選んでいいっていうのは新鮮です!

カルナバルの意味

(A) さて、では歌詞をみていきましょう。 オリジナルの歌詞はハンドアウトにありますが、 ストレートな人生の応援歌ですよね。

ラテンアメリカのごく普通の人たち、 絶望して苦しんでいる人たちに寄り添ったメッセージだと思います。 平歌の1番の歌詞はだいたい次のような意味です。

世の中は不公平だと考えているみなさん
そんな風に考えてはいけません
人生は美しさそのものであり、それが私たちの生きる道なのだから

自分は孤独で不幸な存在だと考えているみなさん
そんな風に考えてはいけません
人生に決して孤独などありません、いつもそこには誰かがいてくれるのです

ああ、泣いていてはいけません、人生はいつもカルナバル
それはもっと美しく、歌って過ごすべきものなのです
おお、どうか泣かないで
人生はカルナバルなのだから
哀しみだって歌い続けているのですから

(C) もう泣きそうです(笑)。

(A) 本当にそうですよね、人生の苦しみに打ちひしがれている人を慰めてくれます。 嘆きたいとき、泣きたいときに聴くとやられますね(笑)。

(B) 楽しげな歌に聴こえるのにこんな歌詞だったのか! ところでこの「カルナバル」っていうのはお祭り騒ぎくらいの意味で理解したらいいのかな? 辛いことがあっても楽しくやろうという感じ?

(C) もう少し深く受け止めてみてもいいかもしれませんね。 カルナバル、つまり謝肉祭は「聖俗」とか「男女」とか「上下」 を反転させて非日常を作る「地位反転」の文化的仕掛けでもあるともいわれます。 社会的な役割を交換することで 一人ひとりは相対的にモノゴトを視ることができるようになるし、 日常の息苦しさを開放する効果もある。

(B) なるほど、そうやって考えると面白いね。 歌や仮装で楽しむだけじゃなくて、 不公平で残酷な現実を反転させたいっていう希求みたいなものも、 この「カルナバル」という言葉に込められていると理解することもできるんだね。

(A) 2番の歌詞にはもっとはっきりそういう願いが現れているかもしれませんよ。

いつだって世界は残酷だと考えているみなさん
そんな風に考えてはいけません
悪いことばかりが起こり
いつまでたっても何も変わらないと考えているみなさん
そんなふうに考えてはいけません
いつか空が晴れれば、きっと笑顔になるのだから

(B) 本当だ、 タイトルからの連想でただのバカ騒ぎの歌だと思ってた自分が恥ずかしいです(汗)。

(C) ラテン音楽の歌詞にはそういうのも多いですからね(笑)。 こうやって改めて歌詞の意味を教えてもらうとはっとすることがあります。

(B) それにしても 「悪いことばかり起こる」っていうのはちょっと悲観的すぎるような気もする。 もうちょっと気楽に考えればいいのに。

(C) やっぱりラテンアメリカ的な条件で生きている人にとっての現実は厳しいんじゃないですか。 奴隷制と植民地主義に貫かれた歴史だし、 いまでも経済的にも政治的にも安定できていない場所が多い。

(A) そうですね、 ちょっと私たちには簡単に共感できるなんて言えないほどの痛く苦しい歴史があります。 でもそんな条件なのにも関わらず、 こんなに優しい歌がラテン世界から生まれてるっていうのが感動なんですよ。 最後のソネーロの部分の歌詞はトドメですよ。

たくさんの不平をこぼす人たちのために
ただ批判ばかりする人たちのために
武器を使う人たちのために
私たちを駄目にする人たちのために
戦争を起こす人たちのために
罪深く生きる人たちのために
私たちを虐待する人たちのために
私たちを汚す人たちのために

(B) この「ために」っていうのはどこに掛かっているんだろう?

(A) おそらく、直前の「哀しみだって歌い続けている」っていう部分です。 「哀しみは歌い続けている、不平をこぼす人たちのために」ということじゃないですか。

ここには外部にある圧倒的な暴力のせいで、 自分たちの生活が駄目にされ、 身体が傷つけられ、希望が引き裂かれているという透徹した認識があります。

(C) これは世の中の不条理を嘆いているとも受け止められるけど、 どうにもできない残酷で厳しい現実を前に癒しを求めている感じも痛切ですね。

(B) んー、こんな歌詞だったのか。 メロディは結構明るいし、ブリッジでは「ワ!」とか盛り上がるしね。 キューバ出身のミュージシャンなんかもすぐにセッションでやりたがる曲だから、 もっと楽しい曲なのかと思ってたよ。

(A) 実際 Celia もそうですけどとても楽しそうに歌ってますよね。

(C) ラテン音楽には楽しさと哀しさの間に境界がない感じがしますね。 いつも両義性がある。

(A) そういうのがサボールってことなんですね。

(B) あるいはあの「アスーカール!」にもそういう響きがあるのかなあ。 クラーベも両義性のリズムだっていうし。

(A) クラーベとかトゥンバオはいつも楽しそうなのに、 いつもどこか暗い響きも合わせもっている。

そういうとても複雑で入り交じった感情を 「カルナバル」という言葉に載せて表現しているのかもしれませんね。

でも不思議なのは、 わたしは必ずしもラテンアメリカの人たちの歴史を当事者として共有している訳でもないのに、 なぜかとても深く共鳴する感じがあるんです。

(C) ユニヴァーサルなメッセージがありますよね。

(A) だからこの歌を聴くと自分の人生を応援してくれているような気がしてくるんです。 本当に不思議なんだけど。

どうして共感できるのか、というのは奥深い問題のような気がしますね。 これはまたみんなで考えてみましょう。 ひとまず今日の座談は時間が来たのでこれまで。 今日はどうもありがとうございました!

(B)(C) ありがとうございました!

posted at: 2021-10-18 (Mon) 22:00 +0900