Merengue Panic


Johnny Ventura 1周忌に寄せて

Johnny Ventura
from "Combo Show"

本サイト Merengue Panic は 2021年6月23日にスタートしました。 それは 3つの銘 を掲げて展開するメレンゲ活動の拠点とすることが第一の目的ではありましたが、 最重要のメレンゲイロである Johnny Ventura のファンサイトとしての性格も 密かに持ち合わせたウェブサイトとしても企図されたものでした。

連載『メレンゲ入門』 の執筆はサイト創設にあたっての最初のマイルストーンでしたが、 まさにこの作業の最中、サイトのローンチわずかひと月後にカバーヨの訃報が届きます。 それは メレンゲ史における Ventura の功績を記した記事 を公開した10日後のことでした。(そのときの 追悼記事

『生と死』

Ventura の遺作アルバム "Tronco Viejo" (2016) に収められた美しく力強いサルサチューン "La Vida Vs La Muerte" (『生と死』) は Tony Ávila をフィーチャして録音された軽快なアレンジの名曲です。 この突き抜けた生の讃歌は決して死を不吉で避けるべきものとは扱っていません。

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生きてあなたを受け入れられるなんて、なんという僥倖だろう
生は生を呼び、死に死を与える

死は取引をする
それは人に生を与える
このことをよくよく知っておかねばならない
生は危険な罠だ
死は生を誘惑する
生はどうすれば死を騙せるかを知っている
それが生き続ける理由である
それが生きること、死ぬことの恐さでもある

死ぬときまであなたと一緒にいられるなんて、なんて僥倖だろう
死ぬまで一緒にいられるなんて
あなたを見つけられたなんて、なんて僥倖なんだろう

あらゆる生は死に負っていること。 当たり前すぎて忘れられがちなこの認識にすっと立ち返り、 両者の仲睦まじい関係性を 心地良いリズムと野性的な清涼感のあるトランペットが印象的なナンバです。 生きることをよしあしとしてではなく 「僥倖」(suerte)として受け入れるしたたかさを歌ったこの謎めいた歌詞の中では、 「あなた」は愛しい誰かと聴くこともできるし、 「死」そのものの擬人化としても聴きなすことができますね。

一見軽薄にみえて実は透徹した庶民の哲学をさらっと垣間見せるこうした側面は、 メレンゲやサルサの重要な特徴のひとつです。 ちょっと聴いただけでは通り過ぎてしまいそうなところに、 深い智慧が隠されています。 じっくりと時間をかけて見守ることによってのみはじめて知ることができるような アフロ=カリビアンたちの知。 素頓狂なほど明るく爽やかな旋律が運ぶ哲学。 彼らは「知識」というものがせいぜい不完全なものとしてしか 存在しないことを確かに直観しているように見えます。 ここを突き抜けた知性との共振こそが太鼓のリズムを作り、 クラーベの魔法のグルーヴに浸み出しているのだと教えてくれるようです。 マンボはカイマンの森の焚き火の前で祈るのでした。

もともと接続不可能な異質なモノを、途方もない暴力を伴いながら、 混ぜ合わせて攪拌して溶け合わせて様々な味に仕上げた「ソース」は、 甘さや旨みよりもはるかに苦味と酸味と辛味を含んでいるのでした。

メレンゲ活動の駆動力

この曲に何度も支えられながらようやく創設連載を校了まで漕ぎ着けたとき、 最終エピソードのタイトルが 「メレンゲを生きる」 となってしまったのは、 この連載が Ventura の訃報の残響とともにあったことと、 ライトモティーフとしてのこの曲があったからかもしれません。

ちなみに、この連載最終記事の配信2日後に初めて Merengue Panic が主宰に名を連ねるイヴェントを行うのですが、 そのサブタイトルが "Ventura Panic" であったことの理由は上記のような経緯のためでした。

このような意味でこの1年間の Merengue Panic の駆動力となったのは、 訃報との偶然の符合ゆえに、ややもすると少々過剰に、 引き受けざるを得なくなってしまった Ventura への追悼の念でした。

この間のメレンゲ活動の裏テーマが Ventura 追悼であったとするならば、 表のテーマはメレンゲという音楽にフォーカスを当てることでした。

すなわち、ダンスのみを楽しむ人にももっと音楽そのものも楽しんでほしい、 そのガイドブックになるようなイヴェントを作っていきたいという意図です。 そして、この観点で最も重視したのが Ventura の音楽をダンスシーンに紹介する、 ということでした。

Ventura を聴く

メレンゲの音楽的特徴やその魅力の簡単な解説は 『メレンゲ入門』内の記事 などにも記していますので、ここでは繰り返しませんが、 やはりその核心はサルサや他のジャンルの音楽とも共有する、 「ポリリズム(クラーベ)」と「コール・アンド・レスポンス(マンボ)」だということです。 そして Ventura の音楽はまさにこのふたつのエッセンスを凝縮したような音楽なのです。

Ventura は独裁者トルヒーヨ政権下での音楽のあり方を、 テレビという新しいメディアの力を存分に駆使しながら宙返りさせました。 政治的にも音楽的にもショービジネスとしてもメレンゲを全く新しく作り変えた、 まさに「エル・メレンゲ」でした。 国籍やジャンルを越えて様々に分岐し、 拡散した現代メレンゲの数々も元を辿ればほとんどこの Ventura の仕事を継承しています。

ポリリズム感という点で特筆すべき "Patacón Pisao" や "Me Gusta"、 ドミニカン・サルサの金字塔 "Dilema" など、 楽曲別にも取り上げておきたいトピックには事欠かない Ventura ですが、 やはり Ventura といえばコンボショーでのダンスステップも忘れるわけにはいきません。 多くのドミニカーノは彼のダンスを見てメレンゲダンスの原体験を作ってきたわけで、 その文化を遠くから受け止めようとする我々にとってはいっそう Ventura のステップをおさらいしながら、 その身体運動のポリセントリックな動きに古い技術を学び直すことが大切になってきます。

こうした音楽家・パフォーマとしての彼の功績について、 それはそれでもっと語られねばならないのですが、 一方でほんとうに価値あるものは語り得ないのだということを教えてくれるのが Ventura の音楽のメッセージであるとしたら、 無用の言葉を並べるよりも 彼のレコードを繰り返し聞き続けることの方がはるかに多くの学びになるに違いありません。 Ventura の楽曲を楽しく聴きながら身体を揺らして彼のステップを試してみること。 そのように追悼するのが最も相応しい、 そう感じさせてくれるミュージシャンが Johnny Ventura という人でした。

大いなる僥倖

Merengue Panic ではラテン世界から学べることは、ダンスや音楽のみに限らず、 大西洋より広くプエルトリコ海溝より深いと考えています。 Ventura をその入り口にして謎めいたアフロ=カリビアンの叡智と共振してみる、 という本サイトの実験の帰結はいまのところ闇の中に消えていますが、 大いなる僥倖(suerte grande)の智慧を素頓狂なほどに明るいメロディに載せて歌った Ventura の声は、柔らかい熾火のように楽しげにはぜています。

posted at: 2022-07-21 (Thu) 12:00 +0900